日別アーカイブ: 2014年12月18日

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 真面目男編

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三浦 芳範 54歳 見るからに「実直」なイメージを醸し出している。会社では車掌も務めたが、現在の観光部門の担当になってから頭角を現し、今では旅行業が天職と言えるほど。

三鉄では毎朝朝礼を行い、その際に抽選で「1分間スピーチ」を行う。内容は自由だ。三浦が当たると1分間が5分になる。一生懸命話す。同じところを反復するためなかなかまとまらない。しかし「実直」な性格であり、最後までしっかりと話さなければ気が済まない。社員たちはじっと聞いている。忍耐強いのだ。

高齢女性には抜群の人気だ。三鉄ツーリストが例年実施する「青森・恐山ツアー」は三浦が添乗する。というか添乗員が三浦でなければ応募が激減する。何しろ親切である。こまごまと嫌な顔一つせず、笑顔で優しく接してくれる(参加の75歳のおばあさん談)。恐山が目的なのか、車中の三浦が目的なのか、大人気のツアーとなっている。

東日本大震災で壊滅的打撃を受けた大槌町で生まれた。知人友人、親せきも多く一応に大きな被害を受けた。三浦の心は大きなダメージを受けたが、持ち前の強い精神力が立ち直りを早くした。その強い精神力は野球で培われた。

中学高校と野球に明け暮れた。4番でファーストが自慢だ。社会人野球でも4番を任された。ただ、その後は体重が増え続け、とうとう90キロを超えた。あまりの無様な姿を鏡で見て、ダイエットに取り組んだ。現在は73キロまで落とし維持している。

趣味のアマチュア無線を楽しんでいる。見知らぬ仲間との交流は何よりの息抜きだ。思いっきり話せることもストレスの解消に役立っている。会話が通じているかどうかは微妙だが。

三鉄フロントライン研修や震災学習列車、企画ツアーなど休む暇もなく動いているが、疲れた顔や嫌な顔を決して見せないナイスガイである。妻一人娘一人の女系家族。優しさは家庭から育まれている。30年使い続けてきた冷蔵庫が壊れ、1月に高性能冷蔵庫に替えた。大きな買い物だったが、妻と娘の喜ぶ顔が何よりだった。当然その後は小遣いが減った。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 何役も務める不器用人間

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及川 修 60歳 重役である。肩書が多い。「料理長」「修繕課長」「大工課長」「電気修理課長」「花壇管理課長」。何重もの役職があるので重役。会社にとってなくてはならない貴重な人材である。

本業は当然「鉄道」である。三鉄の中でもトップクラスの鉄道専門家だ。山田高校を卒業後に入社したのは「神奈川臨海鉄道」。家庭の事情で岩手に戻り、「東北鉄道運輸」へ再入社。その後平成2年に強い推薦があり、「三陸鉄道」へ再々入社となった。一貫して鉄道畑を歩んできた。三鉄へ入社後は、力量を買われ、宮古駅勤務から大船渡、釜石、宮古、久慈、最後は宮古の運転課長として転勤が続いた。同じ県内とはいえ、四国と同じ面積の岩手県は広い。異動はつらかったことも多いが、三鉄管内をすべて熟知できたことが後々大いに役立っている。そうして60歳の定年を迎えた。まさに波乱万丈の鉄道人生であった。望月社長の強い希望と、なくてはならない存在として再雇用となり、参与として現在も同様の鉄道業務を続けている。及川は「望月社長との出会いにより、人生に明るく輝く太陽と巡り合ったような幸せな日々となった。苦労は何とも無い」と述懐する。

波乱万丈は、二度の津波体験も重なる。一度目のチリ津波、自宅付近の津軽石地区で悲惨な光景を目の当たりにした。次が東日本大震災だ。会社が丸ごと失われる絶望感に襲われた。しかし落ち込んではいられない。望月社長と共に線路の点検に動き、宮古と田老間を歩いた。その時に線路が大丈夫なこと、住民が線路の上を歩いていること、それらから早期復旧と無料運行を進言した。望月社長は即刻意見を聞き実行した。信頼されている喜びと大きな責任感に体が震えた。

高校時代はボート部に所属し活躍した。県大会で2位。東北大会でも2位。全国高校総体で2位。国民体育大会でも2位。すべてが2位だった。大将より参謀が似合っているのだろうと納得した。「2位じゃダメなんですか」と某女性国会議員の仕分けニュースに笑ってしまった。

社員との喧嘩も多かった。喧嘩というより理不尽な上司との軋轢が多かった。正論が通じない悔しさも味わったが、今日あるのは、そうした出来事のお陰と感謝している。

望月社長に海釣りに誘われた。久しくしていない釣りだ。仕事が終わり夜を徹して陸奥湾へ行った。こんなに海釣りが楽しいものだと、小さいころの思い出がよみがえった。今では月に1回、三陸の海を謳歌している。なぜか及川だけが釣れる日もあり、大恩人の望月社長に申し訳ない気持ちになるらしい。が、「実力だけは仕方がない、釣れてしまうから」とほほ笑む姿が目撃されている。

毎年年末の最終週末に「クリスマス釣りー」をするのが行事になっている。昨年は大きなナメタを釣った。望月社長にも大きなナメタが来ることを願うばかりである。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 純情虎舞編

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菊池 弘充 (きくち ひろみつ) 52歳

生粋の釜石人である。世界遺産登録を目指している産業遺産「橋野高炉跡」の橋野で生まれ育った。遊び場は当然自然しかなく、田んぼや川を走り回っていた。

彼は、見合いのプロ、達人である。三陸鉄道のキャラクター「鉄道男子」のモデルであることは、ほとんどの社員が気づいていない。見合い回数100回超。すべてを熟知しているが、残念ながら成功事例はない。リアル三鉄マン、全国から一緒に虎舞を踊る伴侶を求めている。

東日本大震災では叔父が犠牲になり、友人たちにも大きな被害が出た。失意のどん底まで味わった。震災前は、岩手県の観光PR大使を務め、運転士でありながら、車中での虎舞サービスは大人気だった。虎舞のお面を製作をしてくれた大恩人が津波犠牲となり、自分が持っているお面が遺作となった。二度と踊らないと命同様に大事にしていたお面を封印した。が、虎舞の指導をしてくれた先生から、「踊ってこそ供養」と叱責を受け、再び舞うことを決めた。その日は、あの「あまちゃん」こと能稔玲奈ちゃんが,NHK[突撃あっとほーむ]という番組で大船渡盛駅のイベントにサプライズ登場した時だ。本当に「あまちゃん」が来るのか、当日まで半信半疑だったが、来てくれた。感動だった。そして震災後初めて「あまちゃん」と一緒に踊った。一生の記念となった。「俺の嫁さんはあまちゃんだ」と、途方もない妄想が重い身体の小さな胸いっぱいに膨らんだ。

2    手前黄色い虎舞が菊池弘充

思えば、釜石で育ち高校生まで電車に乗ったのは修学旅行の2回だけだった。憧れの三鉄に入りたくて猛勉強をした。その時の受験に三鉄に乗った。人生3度目の電車だった。

それから30年。厳しく指導してくれた大先輩。すべてが今の自分があるのも指導のお陰と感謝の日々。それでも不器用さは直らない。それも持ち味だと言い聞かせている。およその部署はすべて経験してきたが、やはりお客様と接することが出来る運転士こそ、自分の転職なのだと。体重100キロ。明るく前向きに生きる。

(同僚の声)

全国の皆様、「ひろみつ」を見つけたらぜひ声をかけてください。願わくは生涯の伴侶が舞い降りてくることを願うばかりです。きっと両手で受け止めます。