私の元気のもとと言えば大げさですが、盛岡へ戻ると必ず食べたくなるのが、中ノ橋にある「直利庵」のそばです。純白な細麺と、上品な返しのマッチングは、二十数年来、変わらぬ味です。
先日、友人たちといつもの昼食を食べに行きました。決まって「もりそば」と「半親子丼」を注文します。そこに松井親方が「草野さん、ちょっと試食してみて」と運ばれてきたのが「サンマ丼」でした。見た目も良く、炊き立てのご飯の上には、うな丼のように甘ダレがかかっていました。「ま、サンマだし、珍しいわけでもないかな」と心で思いながら、まずは一口、香ばしい香りのサンマとご飯を口に運びました。
「じぇじぇじぇじぇじぇ」(決して古いセリフではありません。三鉄ではまだ公用語です)。目玉が飛び出してしまいました。単なる香ばしさだけではなく、爽やかなレモンの酸味と、白ごまの焦げた香り、ふっくらとしたサンマの身が口の中でコンサートです。ただただ、ぼうぜん自失。うっとりを通し越して、もはや涙目になっていました。
今年は品質も良く、何度も何十匹も食べてきたサンマ。しかし、松井親方の腕は、その当たり前の感覚をはるかに超えていました。丁寧な下処理は、小骨さえなく、皮はパリ、身はふっくら、タレはレモン汁と甘めのしょうゆ味。もはや、食い気は止められず、一気にかっこんでしまいました。完敗です。いや乾杯です。
2日ほどしてもう一度行きました。今度は迷わず「もりそば」と「サンマ丼」を注文しました。大満足で帰ろうとしましたら、親方が「用意しておいたので食べてください」と、何十枚ものサンマの切り身と、タレ、はしかみ、レモン、いりごまをパックに詰めて渡してくれました。なんといういい人なのでしょうか。こういう場合は、まったく遠慮はせず、気持ち良くいただくのが私の流儀なもので、ヨダレを我慢しながら、お礼を言って店を後にしました。その日の夜、レシピ通りに作った「サンマ飯」がこの写真です。微妙な焦げ目も再現しました。岩手の新米が湯気を上げ、部屋中に「サンマ丼」の香りが充満しました。ごちそうさまでした。
2014.11.21盛岡タイムス掲載