月別アーカイブ: 2014年11月

サンマが極限の美味に昇格

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私の元気のもとと言えば大げさですが、盛岡へ戻ると必ず食べたくなるのが、中ノ橋にある「直利庵」のそばです。純白な細麺と、上品な返しのマッチングは、二十数年来、変わらぬ味です。

先日、友人たちといつもの昼食を食べに行きました。決まって「もりそば」と「半親子丼」を注文します。そこに松井親方が「草野さん、ちょっと試食してみて」と運ばれてきたのが「サンマ丼」でした。見た目も良く、炊き立てのご飯の上には、うな丼のように甘ダレがかかっていました。「ま、サンマだし、珍しいわけでもないかな」と心で思いながら、まずは一口、香ばしい香りのサンマとご飯を口に運びました。

「じぇじぇじぇじぇじぇ」(決して古いセリフではありません。三鉄ではまだ公用語です)。目玉が飛び出してしまいました。単なる香ばしさだけではなく、爽やかなレモンの酸味と、白ごまの焦げた香り、ふっくらとしたサンマの身が口の中でコンサートです。ただただ、ぼうぜん自失。うっとりを通し越して、もはや涙目になっていました。

今年は品質も良く、何度も何十匹も食べてきたサンマ。しかし、松井親方の腕は、その当たり前の感覚をはるかに超えていました。丁寧な下処理は、小骨さえなく、皮はパリ、身はふっくら、タレはレモン汁と甘めのしょうゆ味。もはや、食い気は止められず、一気にかっこんでしまいました。完敗です。いや乾杯です。

2日ほどしてもう一度行きました。今度は迷わず「もりそば」と「サンマ丼」を注文しました。大満足で帰ろうとしましたら、親方が「用意しておいたので食べてください」と、何十枚ものサンマの切り身と、タレ、はしかみ、レモン、いりごまをパックに詰めて渡してくれました。なんといういい人なのでしょうか。こういう場合は、まったく遠慮はせず、気持ち良くいただくのが私の流儀なもので、ヨダレを我慢しながら、お礼を言って店を後にしました。その日の夜、レシピ通りに作った「サンマ飯」がこの写真です。微妙な焦げ目も再現しました。岩手の新米が湯気を上げ、部屋中に「サンマ丼」の香りが充満しました。ごちそうさまでした。

2014.11.21盛岡タイムス掲載

沖縄から希少種石垣島レモン 

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沖縄県石垣島は、岩手県ととても深い関わりのあるところです。岩手県が1993年に大冷害に見舞われたときに、二毛作の温暖な環境を生かし本県の種もみを石垣島が増殖してくれました。その後、交流が進み、「かけはし交流」となって、石垣島マラソン・北上マラソンとして民間交流が続いています。

その石垣島で、脱サラをしてジャングルを開墾し、奥さまと一緒に石垣島レモンの栽培に取り組んできたのが須川さんご夫婦です。マイヤーレモンという希少種にほれ込み、大自然の中でそのまま育てています。農薬など一切使わない農法です。岩手県の商品開発コーディネーター五日市知香さんが、たびたび沖縄で仕事をし、その最中に知り合った須川さんとのご縁で実現し、全国初の店頭販売となりました。

多分この号が掲載される頃は、すっかり売り切れていると思います。すみません。20㌔が届き、1個1個丁寧にパッケージしてくれました。ポーズを取っているのは「結いの市」のマドンナ佐々木香さんです。石垣島レモンのような爽やかな笑顔でレモンを掲げています。どちらがレモンか分からなくなってしまいます。味覚は、あの酸っぱい黄色いレモンとは全く異なり、太陽を肥料に育ってきたためか、甘酸っぱく、とても清涼感あふれる、すがすがしい味覚なのです。

私は、石垣島レモンを四つに割り、焼酎の水割りに、たっぷりと搾りました。一口飲んだ瞬間、私の体は石垣島へ飛んでいってしまいました。なんという極上の味、まさに桃源郷の味になってしまったのです。気が付いたら、寒い宮古の部屋におりました。仕方がないのでもう一杯。またまた石垣島へ直行です。沖縄に行かなくても、石垣島レモンを注いだ焼酎水割りで、すっかり石垣島の農園にいるような錯覚になるおまけ付きなのです。次は来年の収穫のあと岩手県へ送ってくれるそうです。楽しみですね。

2014.11.14盛岡タイムス掲載

お知らせ

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三陸鉄道に草野球日本一を目指すチームが誕生しました。オフィシャルスポンサーはネスレ日本です。顔ぶれがすごい。チームオーナーは、三陸鉄道社長の望月正彦さん。監督は宮古市長の山本正德さん。そしれGMに就任したのは、アメリカンメジャーリーグ、ロイヤルズの岩隅投手。本拠地は津波で大打撃を受けた宮古市田老の野球場。そこから日本一を目指す第一歩を歩みだす計画です。全国ニュースとなり、連日三陸鉄道へ問い合わせが多数寄せられ、関心の高さが示されています。

当会は、当然私設応援団を結成する予定です。幹部会議にて応援団長など組織しますので追って会員の皆様にはご報告いたします。

それにしても三鉄の話題はつきません。これが被災地を明るくする三鉄です。皆様も応援よろしくお願いします。

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三陸鉄道と共に「三陸の食」を応援するキッチンカープロジェクトが動いています。当会も協力団体に登録されています。リーダーの三塚さんは、釜石で被災しながらも地域応援のリーダーとして活躍しています。キッチンカーのメンバーには、当会と密接な関係にある吉浜元気組や恋し浜青年部なども入っています。どんな活動をしているかは、上記のタイトルから検索してみてください。

南リアス線の吉田部長が窓口となっています。各地のイベントなどへキッチンカーが繰り出しています。見かけたらぜひ応援してください。

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ちょっとみにくい写真です。これは当会の会員で彫刻家の植野義水先生が作ったものです。壊滅的打撃を受けた三鉄北リアス線の島越駅が復活しました。そこへ当会の「動物駅員寄贈事業」の8駅目の駅員です。今回は島越駅に大きなものは置けないということで、立派になった駅舎のカウンターに鎮座して微笑むウサギ駅員としました。この駅員は未完成で、これから着色をして11月中に寄贈します。寄贈風景は追ってご報告します。

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三鉄の車両に車椅子用の段差解消の昇降板「RAMP UP」を寄贈するため募金を行っています。会員のほか、岩手県庁の有志の方々約50名が応援してくれました。また先日行われた「三鉄応援ゴルフ大会」の罰金ホールの募金もこの昇降板の購入資金に充てます。12月に寄贈できるよう計画を進めています。冬の三鉄に車いすの方々も乗車できるよう車両に設置する計画です。まだ募金は活動中です。

素晴らしい三鉄運転士

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連日多くのお客さまであふれている三陸鉄道。宮古駅と久慈駅はその中心にあります。待合室で待っているお客さまは宮古駅のトイレを頻繁に利用します。そのトイレを一生懸命、ピカピカに磨いているのは運転士の小向君です。普通、鉄道会社の運転士は、花形と言われ、運転以外は一切しないと言われています。ところが三鉄の運転士は、車中での観光案内や、お年寄りの乗降車アテンド、車内清掃や切符の受け取り、清算要務と全てをこなします。さらには人手が足りないときは、線路上に覆いかぶさる樹木の伐採や、雪の時には除雪作業まで、とにかく働き続けます。

小向君に限らず、三鉄の運転士は皆親切で温かな対応をするので、乗客からの礼状なども運転士宛てに届いたりします。誰も見ていないトイレの中で、少しでもお客さまが気分良くなるようにと、適当な清掃ではなく、ピカピカになるまで頑張ります。この写真は本人が照れるので、後ろからこっそり写したものです。

大震災の最中に、トンネルに残された運転士。普代駅まで自分の判断で乗客を安全に運び、救出まで必死に頑張った運転士。運転明けで自宅に戻り、津波にのまれ、九死に一生を得てやっと助かった運転士が、指を切断しながらも復旧作業に従事したなど、数えるほどのエピソードが残っています。そんな彼らは、何事もなかったように、平然と黙々と仕事をしています。

やがて、もしかするとJR山田線の宮古と釜石間がつながれば、三鉄運転士のフィールドが三陸沿岸一帯に及んできます。給与も決して高くない中で、会社を愛する気持ちと郷土を愛する気持ちを抱いて頑張っている運転士に拍手を送ります。運転中は声を掛けることができませんが、皆さま、三鉄に乗車した折には、乗り降りの際にでも声を掛けてください。すてきな運転士たちです。

よろしくおねがいします。

2014.11.7盛岡タイムス掲載

中国で活躍の会員3年ぶり

 

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イオンスーパーセンターの元社長の奥野さんが三鉄にやってきました。盛岡で3年間生活をし、その後、中国へ転勤となりました。永旺投資有限公司・常務副総裁という肩書です。永旺というのは、イオンのことです。中国全土を束ねる広州の本社で活躍しています。盛岡にいた時に、三陸鉄道を勝手に応援する会の会員として交友を広めてきました。

3年ぶりの里帰りのようなものですが、今回の目的は、イオン香港のお店で三陸鉄道を紹介する「東北フェア」のご依頼でした。もちろん望月社長は二つ返事で「何でも協力します」と引き受けました。奥野さんは、多くの香港の人たちに三鉄へ足を運んでもらうようPRしたいとのことでした。

三鉄コーナーを中心に、三陸ワカメや日本酒、岩手の三大麺、新米なども販売します。岩手県の大きなPRになるように頑張りますと大きな体を丸めて説明してくれました。中国では、日本排斥運動の渦中を体験し、今は香港の学生運動に遭遇しています。心なしか、中国人の顔になってきたような。さまざまな危機も、きっとこの温和なスマイルがあれば、中国の方も一気に和んでしまうのではと勝手に想像しています。

国道106号の秋色のすてきな風景の中を車で移動してきました。「日本は本当に素晴らしいと中国で生活していると、つくづく良さが分かります。特に岩手は本当に素晴らしいところ」と感慨深く話してくれました。

なぜか、盛岡で勤務された方は、みなさん大出世をしています。一緒に来たイオン香港の奥嶋さんは、大の鉄ちゃん。望月社長のサインが欲しいと「三鉄情熱復活物語」を持参。頂いたサイン本を震えながら鞄にしまいました。11月12日から香港で大々的に開催される「東北観光物産展」。三鉄が海外でも人気が高まりますよう香港イオンの奥嶋さん、よろしくおねがいします。

2014.10.31盛岡タイムス掲載