この浜は、宮古市の「震災メモリアルパーク中の浜」です。遠くに見える美しい海から、巨大な津波が襲ってきました。まるで想像できません。
このメモリアル公園は、環境省三陸復興国立公園が整備したものです。当時にぎわっていたキャンプ場には、共同炊事場やトイレなどがありました。それらが破壊されたままの状態で保存されています。ほんの少しの遺産でも、十分に思い起こすことができます。巨費をかけたメモリアル公園が別の場所で整備されようとしています。でも巨費をかけた立派な施設でなくても十分なのです。ほんの少しでも、破壊力や津波の高さなどが彷彿(ほうふつ)とするだけで、その価値はずっと後世に伝えていけるのです。
真冬の海岸では、黙々と公園整備をする作業員の方が、凍てつく海風の中、働いていました。3・11が来れば、多くの人たちが訪れてくるでしょう。忌まわしい出来事でしたが、時はすでに4年を経過しようとしています。都会では、震災関連の放映が不人気と聞きます。飽きてきたという人もいます。いまだに「宮城や岩手に行くには福島を通るから、子どもは行かせられない」と、とんでもないFacebookの投稿者がいました。まだそんなことを…と、がくぜんとしました。わずかな知識無意味な感覚だけで話す人が実に多いことに悲しくなってきてしまいます。
沿岸各地は、大規模工事の真っ盛りです。厳しい環境の中で働いている工事現場の方々には頭が下がります。立派な道路や防潮堤、建物などがどんどん姿を現してくると思います。願わくは、無機質な建造物だけが残るのではなく、温かな血の通った「復興」へとつながればと思うところです。2015年、JR山田線の復旧工事も始まります。一歩一歩、一つ一つ、温かな気持ちになる出来事が増えることを願っています。よいお年をお迎えください。
2014.12.26 盛岡タイムス掲載