月別アーカイブ: 2014年12月

バリアフリー「昇降板・RAMPUP」寄贈 12月25日

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岩手日報  12月26日(金)岩手日報朝刊記事

ご支援ありがとうございました。12月25日 8基を三鉄へ寄贈いたしました。募金ご協力に厚く感謝申し上げます。

当日は、三陸鉄道 望月社長、南運行部吉田部長、に8基を寄贈しました。詳しくは添付の岩手日報の記事をご参照ください。

車いすの方々が、少しでも楽に乗り降りできればとの思いです。一緒に取り組んだ一般社団法人RAMPUPいわての松嶺貴幸理事長の提案で募金活動を始めました。当会以外では、多くの岩手県職員の皆様のご協力がありました。心より御礼申し上げます。

募金総額 236、410円  7基製作費 210,000円 運搬、ネームプレート等諸経費 62,000円 不足分は当会会費より補てん。1基は、()RAMPUPいわてより寄贈。募金参加者 126名。

 

          三陸鉄道を勝手に応援する会 会長 草野  悟

 

2014年から希望の2015年へ出航

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この浜は、宮古市の「震災メモリアルパーク中の浜」です。遠くに見える美しい海から、巨大な津波が襲ってきました。まるで想像できません。

このメモリアル公園は、環境省三陸復興国立公園が整備したものです。当時にぎわっていたキャンプ場には、共同炊事場やトイレなどがありました。それらが破壊されたままの状態で保存されています。ほんの少しの遺産でも、十分に思い起こすことができます。巨費をかけたメモリアル公園が別の場所で整備されようとしています。でも巨費をかけた立派な施設でなくても十分なのです。ほんの少しでも、破壊力や津波の高さなどが彷彿(ほうふつ)とするだけで、その価値はずっと後世に伝えていけるのです。

真冬の海岸では、黙々と公園整備をする作業員の方が、凍てつく海風の中、働いていました。3・11が来れば、多くの人たちが訪れてくるでしょう。忌まわしい出来事でしたが、時はすでに4年を経過しようとしています。都会では、震災関連の放映が不人気と聞きます。飽きてきたという人もいます。いまだに「宮城や岩手に行くには福島を通るから、子どもは行かせられない」と、とんでもないFacebookの投稿者がいました。まだそんなことを…と、がくぜんとしました。わずかな知識無意味な感覚だけで話す人が実に多いことに悲しくなってきてしまいます。

沿岸各地は、大規模工事の真っ盛りです。厳しい環境の中で働いている工事現場の方々には頭が下がります。立派な道路や防潮堤、建物などがどんどん姿を現してくると思います。願わくは、無機質な建造物だけが残るのではなく、温かな血の通った「復興」へとつながればと思うところです。2015年、JR山田線の復旧工事も始まります。一歩一歩、一つ一つ、温かな気持ちになる出来事が増えることを願っています。よいお年をお迎えください。

2014.12.26  盛岡タイムス掲載

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 社内一資格免許の多い男編

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黒坂 誠 38歳 独身。岩手県の北、洋野町(種市)生まれ

見ての通り、関西お笑い系の顔つきである。吉本興業に入っていればと悔やむ日々。一見温厚そうに見える黒坂だが、免許の種類がすごい。大型特殊自動車免許はもちろん、1級土木施工管理技士、消防設備士、危険物取扱、特殊無線技士、フォークリスト運転技能、ガス溶接技能、刈払機作業従事者などのほか、ありとあらゆる作業関係の免許を取得しているのだ。

三鉄へ入社する前は、交通事業のエリートと呼ばれる東京地下鉄株式会社(東京メトロ)で10年技を磨いてきた。長男のため、戻れ戻れの親族の大合唱でUターン。そこから三鉄へ入社した。無我夢中で働いていたら6年後に大津波。心底参った。まさか、そんな、の繰り返しながら、社員一丸となった復旧工事、熱い魂の塊に触れて目覚めた。異常なほど働きまくる先輩たち。名前は言えないが(KODAとかo-zaikeとかokamotoとか)ものすごいきつい労働の連続にも疲れた顔一つしないで頑張る先輩、同僚たち。異常な集団を目の当たりにした。「三鉄がすごく好きになりました」と述懐している。Uターンして三鉄に入社したのは、たまたま求人があったから、という程度だった。

生まれの種市町(現洋野町)は、目の前が海で、天然ホヤやムラサキウニの産地であり、常に新鮮な魚介類に溢れている。でも魚介類は嫌いだった。肉のほうが好きだった。

思い出としては、久慈と陸中野田の間を定期券で高校に通ったことだ。ここで三鉄との接点があった。しかし特に感動はなかった。

今は変化した。資格は多いが「結婚歴」は無い。唯一既婚者という資格がないのだ。震災後、一躍人気となったのは、鉄道男子、イラストのキャラクター社員だ。生の独身リアル三鉄マンがここにいるのに、なぜか無視されてきた。キャーキャー言って三鉄に乗り込む若い女性たちは、どこに真実があるかをわかっていない。華やかなスポットを浴びる目立つ場所にk本部長は配置してくれない。それなら自力で目立つのみ。黒坂は今日も黙々とラッセルカーを走らせる。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 緻密かつ温厚、硬軟併せ持った鉄道マン

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大在家 辰也 おおざいけ たつや 50歳

 この男、「妥協を許さない緻密人間」なのだ。一期生入社の中では若い部類にはいるが、すでに運行本部担当部長の重責を担う。写真でもわかるように、自分では「高倉健」とダブらせてポーズを取っている。

総務、運転士などを経験してから、天職ともいえる車両担当なった。北リアス、南リアスの全車両を管理する。とにかく徹底して車両の診断を行う。些細な欠陥も見逃さない。清掃だってチリひとつ見逃さない。「安全運行はきれいな車内から」とすべてにおいて車両の診断に神経を注ぐ車両ドクターなのだ。昼食の魚だって、骨の間の僅かな肉片も見逃さずきれいに食べる。まるで骨の標本のような姿の魚が皿の上に残る。

学生時代は、久慈高校に「大在家あり」と言われたほどのバスケットボール選手として鳴らしたらしい。本人は「有名だった」と言うが確認はできない。そのためか、スポーツはなんでも得意だ。バリバリのバンカラかというとそうでもない。パソコン知識に関しては社内一なのである。つまり緻密とバンカラが同居しているのである。

ただ、三鉄の社風というか、大在家の信念というか、ONとOFFはしっかりと区別する。飲んでまで部下をこまごまと叱責したりはしない。OFFになったとたん、ニコニコとソフトな顔になってしまう。そのためか、厳しい指導者ながら部下の信頼は厚く、以外にも女子社員にも人気が高い。金野本部長真っ青である。次期本部長候補として、表舞台の橋上、裏方の大在家、二人のライバル関係も面白い。その前に金野本部長という大きな壁があるが、「定年は金野本部長が先」と二人とも意に介さない。

趣味は車とゴルフだ。車は常にピカピカに保ち、車内はチリひとつない。「あまちゃん」で有名になった表舞台の社員より、こうした裏方社員こそが「ぽっぽや」なのだと夕日を見つめる大在家の顔が光っていた。

 

三鉄キットドリームズ始動

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何ということでしょう。あの三鉄に野球チームができました。しかも「草野球日本一」を目指すという壮大な構想です。まだ実力がどこまでなのかも分からない段階で、ユニフォームや球団マークなど完璧に出来上がっています。このチームは、キットカットでおなじみのネスレ日本がバックアップし、これから復旧する宮古市田老球場をホームグラウンドに活動します。

球団組織がこれまたすごい。球団オーナーは望月正彦三鉄社長。監督は、山本正德宮古市長。ゼネラルマネージャーには、これも驚く大リーガーシアトルマリナーズの岩隅久志投手が就任。応援ソングはMONKEY MAJIK(モンキーマジック)が手掛けます。これだけでも意気込みがすごいことが分かります。主役の選手たちは、といいますと三鉄を中心に宮古市役所職員、地元野球好きな人たちで構成されます。

11月下旬に、宮古市の新里野球場で早速、練習の紅白試合を行い、山本監督が辣腕(らつわん)を振るいました。写真で見ると、いかにも強そうなイメージです。檄(げき)も様になっているように見えます。望月オーナーは「オーナーって人事もできるんだよね。50連敗したら山本監督は更迭かな」と不気味に笑います。草野球といっても、全国には強豪チームがひしめきます。当面は、かなり弱いチームだけを選択して「勝つ味」を覚え込ませることから始めるような戦略もありますが、そこにも負けると「いつかはキットカツ」とスローガンになってしまいます。

ただ全くの素人ではありません。写真左から2人目のプロテクターを着けたキャッチャーは、三鉄の施設部勤務の本格的野球青年鈴木君です。毎日、重い車両や重機を扱っていますので、体力は万全です。ただ入社後すぐに結婚したのが体力的に心配なところです。山本監督は「きょうは辣腕指導だけにしたが、これからは気合を入れて剛腕指導にする」と、ほえまくりました。

2014.12.19盛岡タイムス掲載