「三鉄ぽっぽ屋」カテゴリーアーカイブ

三鉄ぽっぽ屋「心優しき駅長誕生」

20160316

駒木 健次 53歳 

スター軍団の三鉄社員の中にあっては、「地味」「いるかいねえかわがんね」「影薄」など、存在感が乏しいイメージが常に付きまとってきたが、ところがどっこい、駒木はしっかりと「あまちゃん」で存在感をこつこつと創りあげてきた。まもなく再々放送「CS あまちゃん」が復活。駒木もさらに燃え始めている。いつまでたっても「あまちゃん駅長」なのだ。経歴がすごい。小学校では生徒会長。中学では学年委員長で野球部のキャプテン。列車の振動ではなく、神童だったのだ。加齢が人より早く進んでいる印象だが、実はまだまだ三鉄では「若手」の部類に入る。※三鉄社員は、見た目で年齢を当てることは至難

毎年、三鉄で通っていた高校生に送る言葉「贈ることば」は大きな反響を呼び、地元紙でも大々的に記事になっている。某国鉄系の駅でも真似して掲載しているが、元祖送る言葉は駒木なのだ。三鉄を利用してくれてありがとう、立派になって戻ってこいよ、と涙を流して書き続けてきた。

この駒木駅長、晴れて4月から正駅長に昇格。あまちゃんの大吉っあんを超えるともっぱら評判だ。

NHKのテレビ体操が趣味と一般人には理解しがたい変人ぶり。そこが駅長昇格のポイントになった。変人でなければ、なみいるあまちゃんファンの猛者たちを相手にできないのだ。

故郷を愛し、北山崎こそ世界一の景色と思い続けてきたが、「あまちゃん」の後は、小袖海岸こそ世界一と変更となった。熱い男である。

 

三鉄ぽっぽ屋

「幹部シリーズ 三鉄スター」  総務部長 村上 富男 52歳

20150925

三陸鉄道には、震災後特に取材が多くなり運転士などスター選手が数多くいる。もっとも知名度が高いのは望月正彦社長だ。スターと言っても、三鉄職員は朴訥で気取らず、地道でコツコツと仕事に邁進している。そんな中、あまり表にでることなく、コツコツと会社の総務関係を仕切っているのが総務部長の村上だ。

 村上家は鉄道一家。父や兄は国鉄マン。そのため何の迷いもなく三鉄へ入社。様々な部署を渡り歩き現在は総務部長として経営の一翼を担っている。本人は、中学生のころは眉目秀麗で学業優秀、背が高く足も長かったので大船渡中の女子中学生の憧れだったはず、と回顧している。地味な村上らしい思い出だ。中高校とバレーボールに没頭し、毎日厳しい練習をこなし、モテようとして腹筋、腕立てなど特に女子生徒の前では大粒の汗をかきながら腹筋運動をした。そのせいか腹筋は今でも6等分、体脂肪8%、ふくらはぎは筋肉の塊。それを見せたくてすぐ服を脱ぐが、女子社員は気持ち悪がって逃げてしまうので、立派な体を披露するチャンスがない。

その美しい身体(本人談)の維持は、年齢とともに部分的にほころびが出てきている。特に口元の筋肉はなくなりつつある。激辛ラーメンを食べると、口の筋肉が弱く、白いワイシャツに真っ赤な汁をべたべたと飛ばし、クリーニング不能となる。それでもめげずにカレー南蛮蕎麦などを食べ続けている。根性はある。

サービス精神は旺盛で、特に会社のためならどんなサービスもいとわない。ある時は「松山千春」となり、ある時は「福山雅治」になる。カラオケはマイクを話さない。心優しき鉄道マンだ。

 

三鉄ぽっぽ屋「奇人変人運転士 夢はマイウエイ」 吉田 裕志 35歳

2015090902

自由に生きたい。自由に行動したい。いつも山に登り夢見ている。北海道に住んでみたかったので大学は北海道にした。北海道から夢見ていたのは「大阪に住んでみたい」だった。それで大阪に就職した。大阪で妻と会った。関西弁丸出しの妻を連れて実家に戻った。娘は3歳。妻の影響で猛烈な関西弁だ。家に帰ると妻と娘に関西弁でまくしたてられる。ある意味快感だ。もうすぐ1歳の子供も関西弁を話すのかと、不安がよぎる。

 三鉄の先輩たちは、会社のあらゆる部署を経験して運転士になっている。吉田は入社した時から運転士。それ以外の経験はない。運転士見習いの時に、「一の渡駅」で大失態を演じた。駅にうまく停車できずに激しく急ブレーキをかけた。あまりの衝撃に乗客は声も出なかった。その時おばあさんが「なんだぁえぇ、ちゃんと運転しとがんせ」と宮古弁で怒られた。その時から「お年寄りを大事にする」心が芽生えた。安全運転、居心地の良い運転、優しい案内。すべてはお年寄りの人たちへの気配りだ。

 お盆が終わると、妻と娘たちを実家に帰す。「できる限りゆっくりしてこいよ」と優しい言葉をかける。そこからが「自由時間」だ。ウキウキする。休みはすべて山登り。壮大な自然の中でストレスを発散する。最高の気分だ。妻と子は、半年くらい実家でゆっくりしてくれればと願っている。似たような社長がいるので心強い。

 

三鉄ぽっぽ屋「モテモテ風ナイスミドル運転士」 長澤 仁志 51歳

2015090901

どう判断するかは読者次第だ。調査の結果、長澤運転士の性格が透けて見えてきた。まず「特技や特徴などは目立ってありません。単に小学校時代は勉強ができただけです。ま、よく言われたのは、ソフトボールやドッジボールが得意な可愛い少年、です。高校はボート部に所属し、毎日オールをこいでいました。細身ながら腹筋はきれいな6パック。冨手先輩のように皮下脂肪は全くない体系でした。」とここまでは述懐だ。いよいよ三鉄入社後の話となる。32年前の開業当時を思いだしてこう述べている。「とにかく毎日がフィーバー、恐ろしくいそがしく、とてもモテモテの日々」だったようだ。震災後は不安が大きかったが、とにかく社員総力で復旧を目指した一員に加われたことが「とても嬉しい」と話す。シャイで寡黙に見える長澤運転士だが、ハートは熱い。先輩で「よくモテた」と話すM総務部長より「たぶん私のほうが・・」と控えめに話す。芯の強い運転士だ。どこへ行っても、しっかりと自分の役割をこなす意志の強さは、三鉄運転士魂そのもの。長澤もまたその一人だ。

 

三鉄ぽっぽ屋「愛の塊 梅雨草 こむかいくん」 小向 広幸 運転士

25090401

およそ三陸鉄道において、小向運転士ほど実直、勤勉、働き者、正直者はいない。ほかがダメだということではなく、飛びぬけた実直さなのである。下の写真は、運転士の勤務を終えた小向運転士が、宮古駅のトイレを一生懸命ピカピカに磨いているところを、こっそりシャッターを押した瞬間だ。グリニッジ世界標準時間のように、いつも正確に勤務する小向運転士は、入社前は家電量販店に勤めていた。先輩の勧めで三鉄に入社。入社後は先輩の勧めで努力の末に花の運転士に合格。学生時代の陸上選手時代も先輩に助けられ、励まされてきた。その都度先輩に恵まれてきた。そのためか、常に「感謝」の気持ちを抱いている。そして今は、三鉄を支えてくれるお客様のために「感謝」し続けている。その気持ちがトイレ掃除となっている。「お客様の命を預かる任務は、いつも緊張の連続です」と語る。誰からも好かれ、黙々と勤務する小向運転士は、テレビなどの出演は少ない。むしろ目立たないほうだ。ヒマワリのような先輩運転士たちの陰に隠れる「梅雨草」のような存在だ。それでいて凛として美しいブルーは、人々の心を和ませる。小向広幸 46歳。生粋の宮古人。潮風のように爽やかだ。