三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 何役も務める不器用人間

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及川 修 60歳 重役である。肩書が多い。「料理長」「修繕課長」「大工課長」「電気修理課長」「花壇管理課長」。何重もの役職があるので重役。会社にとってなくてはならない貴重な人材である。

本業は当然「鉄道」である。三鉄の中でもトップクラスの鉄道専門家だ。山田高校を卒業後に入社したのは「神奈川臨海鉄道」。家庭の事情で岩手に戻り、「東北鉄道運輸」へ再入社。その後平成2年に強い推薦があり、「三陸鉄道」へ再々入社となった。一貫して鉄道畑を歩んできた。三鉄へ入社後は、力量を買われ、宮古駅勤務から大船渡、釜石、宮古、久慈、最後は宮古の運転課長として転勤が続いた。同じ県内とはいえ、四国と同じ面積の岩手県は広い。異動はつらかったことも多いが、三鉄管内をすべて熟知できたことが後々大いに役立っている。そうして60歳の定年を迎えた。まさに波乱万丈の鉄道人生であった。望月社長の強い希望と、なくてはならない存在として再雇用となり、参与として現在も同様の鉄道業務を続けている。及川は「望月社長との出会いにより、人生に明るく輝く太陽と巡り合ったような幸せな日々となった。苦労は何とも無い」と述懐する。

波乱万丈は、二度の津波体験も重なる。一度目のチリ津波、自宅付近の津軽石地区で悲惨な光景を目の当たりにした。次が東日本大震災だ。会社が丸ごと失われる絶望感に襲われた。しかし落ち込んではいられない。望月社長と共に線路の点検に動き、宮古と田老間を歩いた。その時に線路が大丈夫なこと、住民が線路の上を歩いていること、それらから早期復旧と無料運行を進言した。望月社長は即刻意見を聞き実行した。信頼されている喜びと大きな責任感に体が震えた。

高校時代はボート部に所属し活躍した。県大会で2位。東北大会でも2位。全国高校総体で2位。国民体育大会でも2位。すべてが2位だった。大将より参謀が似合っているのだろうと納得した。「2位じゃダメなんですか」と某女性国会議員の仕分けニュースに笑ってしまった。

社員との喧嘩も多かった。喧嘩というより理不尽な上司との軋轢が多かった。正論が通じない悔しさも味わったが、今日あるのは、そうした出来事のお陰と感謝している。

望月社長に海釣りに誘われた。久しくしていない釣りだ。仕事が終わり夜を徹して陸奥湾へ行った。こんなに海釣りが楽しいものだと、小さいころの思い出がよみがえった。今では月に1回、三陸の海を謳歌している。なぜか及川だけが釣れる日もあり、大恩人の望月社長に申し訳ない気持ちになるらしい。が、「実力だけは仕方がない、釣れてしまうから」とほほ笑む姿が目撃されている。

毎年年末の最終週末に「クリスマス釣りー」をするのが行事になっている。昨年は大きなナメタを釣った。望月社長にも大きなナメタが来ることを願うばかりである。