「三鉄ぽっぽ屋」カテゴリーアーカイブ

三鉄「熱き男たちシリーズ」秘めたる闘志編 畑村 誠

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三鉄社員には奇人変人が多い。畑村もそのカテゴリーに入る。真面目な雰囲気を醸し出している写真。静かな海の如くゆったりとしている。眉毛が八の字になっているが、これが正装の顔だ。

畑村は、久慈で生まれ育った。中学時代は卓球の選手だった。しかし地区予選敗退が続き、県大会には進めず、とうとう他所の街を知らずに育った。久慈高校は土木科。極めて優秀な成績だった。(未確認) 生まれて初めて県外に出た。千葉県の土木会社に就職したのだ。生まれて初めて見る大都会。東京を経て千葉へ。久慈市より大きな街に圧倒された。人間の数が「アリの群れ」のように途方もなくうごめいている。ここは日本なのだろうかと久慈市とのギャップに悩んだ。「おら、やっぱし久慈がいい。しかも憧れの三鉄さはいるべ」とシティボーイを投げ出してUターン。平成5年。優秀な成績(未確認)で三鉄へ入社。涙と鼻水が同時に出る喜びに浸った。

 

外見とは異なり、煮えたぎるマグマのような情熱がある。何よりも三鉄の仕事が生きがいになった。施設担当として優秀な頭脳がフル回転。久慈から大船渡までの線路は、隅々まですべて頭の中に入っている。トランプゲームの神経衰弱は無敵だ。すこぶる記憶力がいい。三鉄の人間USBと呼ばれている。上司の欠点や失敗などもすべて脳内にインストールされている。「はたむらさ~ん」と猫なで声で媚を売る社員は、何らかのデーターがストックされていると見て間違いない。

酒は強い。なんでも飲む。飲むと口を開く。もう一杯飲むと無口から滑舌に変化する。さらに飲むと話は止まらなくなる。ただしくどくはない。笑い上戸の楽しい酒である。

趣味は釣り。腕前は「櫛桁より上、小田は問題外」という評判だ。恐るべし。53歳。見た目より若い。

 

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」波乱万丈人生編 和田 千秋 51歳

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ユネスコ世界遺産候補地「釜石 橋野高炉」に曲り屋の実家があり、そこで生まれた。釜石と言っても広い。橋野は遠野に近い山岳地帯だ。牛と豚が同居し、幼いころは牛も豚も人間と思っていた。冬は毎日、太い丸太が暖炉で燃え、天井に煙が立ち上り柱は真っ黒だった。日が暮れたら寝て、日が昇ったら起きる。大自然の真ん中の生活だった。「ビル」という名前と建物があることを知ったのは、高校になってからだ。

 

小学校のころは、木登りの天才だと言われていた。今は高所恐怖症。釜石に住みながら海を見たことが無かった。初めて釜石の海を見たとき、太陽が水平線から輝きを増しながら昇ってきた光景が目に焼き付いている。海が好きになった。その影響から、とにかく海の近くで自然の多いところを条件に家を建てた。大槌町鵜住だ。3・11、宝物にしていた子供の成長記録を含め、家、家財道具、衣服、すべてを津波で失った。見事なくらい「何も残らない」震災だった。残ったのは自分の命と家族の命。再起にはそれで十分だった。心に大きな傷を負ったが、三鉄仲間の復旧にかける熱気の輪に飛び込み、どうにか立ち直ることができた。

初めて見た海に憧れ、その海ですべてを失った。しかし三鉄運転士の誇りは失っていない。津波は恐ろしい。でも決して海は嫌いにはなっていない。運転席から見るキラキラした三陸の海はやはり好きだ。

 

三陸鉄道が復活した。頑張れば復活することを学んだ。再開通人気で、毎日大勢の人が乗車した。声をかけてくれる。大きな励みになった。何よりも可愛い女性の方たちと写真が撮れる。嬉し過ぎる。仲間も必死に働いている。これからJR山田線、釜石と宮古がつながる。その一番列車の運転士をめざしていきたい。ライバルは「泣きの佐々木運転士」と「虎舞の菊池運転士」だ。北のほうからは金野本部長が一番列車の美味しいところをきっと狙ってくるはずだ。ライバルは多い。でも盛から久慈までの160キロの一番列車は譲れない。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 風神様登場 内館 昭二 51歳

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花の独身である。婚期を逃したのではなく、独身を謳歌してきたのである。しかし、そろそろ限界を悟り、本年より婚活を開始する重大な決断をした。写真の目がおぼろげなのは、先輩諸氏にしこたま飲まされた後の撮影だから。普段はきりりとした風貌である。

内館は宮古市の隣町「山田町」で生まれ育った。山田町は沿岸の市町村の中でも最大の津波被害を受けたところだ。心の傷がいえるまで相当時間を要したが、三鉄魂が再び復興へ向かう気持ちを高めた。

小さいころから乗り物に弱く、バスや鉄道に乗るときは、必ず乗り物酔い止めの薬を飲んでいた。なぜ運転士になれたのか親戚中でも不思議がられている。絵を描くのが好きで、小学校時代は天才、神童と呼ばれ、写生会はいつも金賞だったことが自慢だ。無類のお人好しで頼まれると断れない性格は、会社では最も多い転勤5回につながった。「うまい話しに騙されやすい性格なので」と自己分析をしている。

運転指令になってからは、「風」が付きまとうようになった。過去最大級の台風遭遇や、強風で自動車が線路に落ちたり、元旦から突風被害にあったりと、「風」がまつわりついてくる。いつの間にか社内では「風神様」と呼ばれるようになった。ただ、今年からは「良い風」が吹いてくる風神様になる。全国から「風神様」の花嫁を募集するのだ。三鉄運転士を主人に持ちたい方は是非一報を。

 

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 橋上 武司 46歳

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三鉄1,2番人気の橋上和司の実弟である。兄より背が高く理知的な顔立ち。小太り気味の兄と違い、引き締まった体躯、温和な顔つきで社内外女性陣に人気が高い。しかもリアル三鉄運転士である。キャラクター鉄道ダンシも素足で逃げ出すナイスガイである。

あの3・11は非番の日だった。エコポイントで買い替えた大事な液晶テレビを必死に押さえていた。家族は逃げた。無事だった。

「もう会社はダメかもしれない」不安がよぎった。翌日、金野本部長が叫んだ・「動かせるところから動かすぞ」。耳を疑った。涙が流れた。「絶対に地元に役立つんだ」と強い意欲が溢れてきた。5日目の運行再開。運転士を務めた。兄がNHK「あまちゃん」で遊んでいる間も、お客様のために走り続けた。その後、応援者が後を絶たない。フル稼働の日々に幸せを感じた。4月6日。悲願の運行再開。ホームに人が溢れた。車内も身動きできない人で埋まった。苦情が来るものと思っていたら、混雑の車内から「頑張れ」の声が響いた。涙で運転席の前が見えなくなった。こんなに素晴らしい仕事をしている誇りを胸に、弟橋上武司は、兄のテレビ出演を横目に、列車の運転席にいる。

 

三陸鉄道「熱き男たちシリーズ」沈着冷静編 米沢 務 50歳

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橋上、大在家などの表舞台社員とは一線を画する裏方人間である。その橋上と大在家は高校の同級生。何の因果か三鉄へ一緒に入社。高校時代は、橋上と大在家は悪童で、米沢は「極めて真面目、謹厳実直型」だった。高校卒業を記念し、橋上と大在家の3人で北海道へ旅行をした。やんちゃな二人に「とてもついていけなかった」と当時を振り返る。

現在は、運転担当部長である。この同期、出世、昇格もほぼ一緒である。ただ異なるのは、趣味ともいえる「厳格チェック」だ。規則のチェック、運転士の管理、ゴミ箱の整理整頓、机の上、時計の針の秒数チェック、数え上げたらきりがないくらい厳しいチェックを行う。精密機械チェックマンと言われ、仕事の正確さは社内随一。そこが悪童同級生と大きく異なる。動力車操縦者運転免許試験で満点を出したのは、現在に至るまで米沢ただ一人である。もはや伝説なのだ。家族愛、愛車愛も深い。常に女房も車もピカピカに磨いている。チリひとつ落ちていない家庭と車内。とにかく仕事と家族が人生なのだ。そこが悪童同級生と異なるところだ。ただ「あまちゃんのキョンキョン」を見て以来、人生観が変わり「色気づいてきた」という噂がある。勤務地は久慈。