日別アーカイブ: 2015年9月9日

三鉄ぽっぽ屋「奇人変人運転士 夢はマイウエイ」 吉田 裕志 35歳

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自由に生きたい。自由に行動したい。いつも山に登り夢見ている。北海道に住んでみたかったので大学は北海道にした。北海道から夢見ていたのは「大阪に住んでみたい」だった。それで大阪に就職した。大阪で妻と会った。関西弁丸出しの妻を連れて実家に戻った。娘は3歳。妻の影響で猛烈な関西弁だ。家に帰ると妻と娘に関西弁でまくしたてられる。ある意味快感だ。もうすぐ1歳の子供も関西弁を話すのかと、不安がよぎる。

 三鉄の先輩たちは、会社のあらゆる部署を経験して運転士になっている。吉田は入社した時から運転士。それ以外の経験はない。運転士見習いの時に、「一の渡駅」で大失態を演じた。駅にうまく停車できずに激しく急ブレーキをかけた。あまりの衝撃に乗客は声も出なかった。その時おばあさんが「なんだぁえぇ、ちゃんと運転しとがんせ」と宮古弁で怒られた。その時から「お年寄りを大事にする」心が芽生えた。安全運転、居心地の良い運転、優しい案内。すべてはお年寄りの人たちへの気配りだ。

 お盆が終わると、妻と娘たちを実家に帰す。「できる限りゆっくりしてこいよ」と優しい言葉をかける。そこからが「自由時間」だ。ウキウキする。休みはすべて山登り。壮大な自然の中でストレスを発散する。最高の気分だ。妻と子は、半年くらい実家でゆっくりしてくれればと願っている。似たような社長がいるので心強い。

 

三鉄ぽっぽ屋「モテモテ風ナイスミドル運転士」 長澤 仁志 51歳

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どう判断するかは読者次第だ。調査の結果、長澤運転士の性格が透けて見えてきた。まず「特技や特徴などは目立ってありません。単に小学校時代は勉強ができただけです。ま、よく言われたのは、ソフトボールやドッジボールが得意な可愛い少年、です。高校はボート部に所属し、毎日オールをこいでいました。細身ながら腹筋はきれいな6パック。冨手先輩のように皮下脂肪は全くない体系でした。」とここまでは述懐だ。いよいよ三鉄入社後の話となる。32年前の開業当時を思いだしてこう述べている。「とにかく毎日がフィーバー、恐ろしくいそがしく、とてもモテモテの日々」だったようだ。震災後は不安が大きかったが、とにかく社員総力で復旧を目指した一員に加われたことが「とても嬉しい」と話す。シャイで寡黙に見える長澤運転士だが、ハートは熱い。先輩で「よくモテた」と話すM総務部長より「たぶん私のほうが・・」と控えめに話す。芯の強い運転士だ。どこへ行っても、しっかりと自分の役割をこなす意志の強さは、三鉄運転士魂そのもの。長澤もまたその一人だ。