「潮風宅配便」カテゴリーアーカイブ

三陸マタギ集団の熊肉祭り

s-umi-0919

友人から電話がありました。「今晩、マタギ仲間と熊肉焼いて食うから来ないか」と。三陸沿岸で有害獣の駆除をオフィシャルに依頼されているマタギ集団の友人からです。早速晩餐(ばんさん)会に駆け付けました。

なんと、その日に処理された熊のあらゆる部位が解体され、見るからにうまそうな肉の山がありました。「熊の背肉ロース」「レバー」「タン」「腎臓」「脂身」だそうです。熊のタンなんか見たことも聞いたこともなく、まして熊の生レバーなんて目が点になりました。

マタギの仲間、ご高齢な方々10人ほどが集結し、早速焼肉が始まりました。三陸マタギにも序列があり、弱そうでほんとに鉄砲撃つの、と見える方がサブリーダーで、熊のようにごついご仁が部下でした。リーダーの中澤さん、温厚ですが知識、経験が深く、有害獣駆除の会長で、「今年は熊が多く、駆除の依頼が殺到している」と困惑顔でした。山菜でも川魚でも獣でも、必要な分しかとらない山男たちなのです。

「て、」と花子とアンの甲州弁で叫んだのは、レバーのあまりのおいしさに驚がくしたからです。熊の脂身が必需で、これがないと始まらないと長老がおっしゃっておりました。マタギの仲間は、あの時は、あのさばき方は、など話が尽きませんが、私は黙々と、ロース、レバー、タン、腎臓と休む暇なく焼いては食べ、食べてはビールの繰り返しでありました。「山の神様に感謝し、すべてを食べ尽くすのが礼儀」と中澤さん。言葉に重みがあります。もちろんわたくしも「感謝」でいっぱいなのですが、とうとう、おなかがいっぱいになってしまいました。

新鮮そのもの、昔食べた熊汁が臭かったので、そのイメージが残っていましたが、処理の技術がすごく、臭みなど一切なく、塩とこしょうだけで十分満足する味になっています。なぜか体の芯のほうからエネルギーが満ちあふれてきました。が、大満足でこの日は午後9時に就寝となった次第であります。翌朝、ガオーと叫んで目が覚めました。

2014.8.19 盛岡タイムス掲載

「復興塾 素晴らしい講師さん」

s-umi-0912

第8回のいわて復興塾は、釜石の岩手大学サテライトで行われました。いわて復興塾(達増拓也塾長)は、震災復興に関わる人たちが、自分の専門分野以外のことも学び、幅広い視野で復興に取り組もうとする集まりです。主に運営委員が企画し、塾生が聴くというスタイルですが、テーマによって一般参加もOKです。

釜石での第8回は水産業が主なテーマ。会場いっぱい、立ち席が出るほど盛況でした。講師は全国の水産業、水産行政、商品開発に優れた実績を持った3人の先生と、司会に岩手県の商品開発コーディネーターの五日市さん(運営委員)という布陣です。達増塾長も、早朝の盛岡出発から帰りは午後8時を過ぎるまで、同じバスでの移動参加となりました。写真の左側は、関西弁で、てきぱきと問題、課題を指摘してくれた田村典江先生です。「なめたらあかんぜよ」と威勢のいい啖呵(たんか)を切るお姉さまには見えないところがすごいのであります。田村先生の講義は、実に的を得たもので「そうそう簡単に成功するほど甘いもんじゃおまへん」「宝くじや打ち出の小づちを期待せんと、自分で自信を持って切り開かんとあかん」と、ズバズバと小気味よくご指摘を賜りました。

わたくしめは、当日の司会でしたが、迫力に押され、翌日市内観光を申し出た次第であります。石割桜の前で「岩手人は根性あるなあ」と独り言をつぶやき、忍耐強く石を割って巨木に育った石割桜を褒めたたえました。「すごいもんやね」と感動していただき、わたくしめ、ちょっと鼻高々でありました。もちろん割れた石の間から育ったことは、田村先生、先刻ご承知でありました。なにしろ水産業ばかりではなく、林業の専門家でもありました。男女均等社会の実現のためにと、県庁友人の鈴木浩之君が頑張っておりますが、均等どころか、ぐんぐん成長するヒノキを見ているような一日でありました。金言「優しそうな美人顔でも 見えないところは石割桜」

2014.8.12 盛岡タイムス掲載

絶好調「三鉄情熱復活物語」

s-umi-0829

盛岡はおろか、県内の書店に大きなポスターがどかーっと貼られています。「三鉄情熱復活物語」の発売PRポスターです。三鉄ブルーの鮮やかな色彩が目立つイラストは、盛岡在住のオガサワラユウダイさんの作品です。本の表紙と一緒で、甚大な被害のあった島越駅が復活したイメージを描いています。

東日本大震災は、多くの悲喜こもごものドラマを生み出しました。その中で、必死に復旧に取り組んだ三鉄職員。苦しくても前向きに進む社員それぞれの姿が浮き彫りになっています。わずか5日で運転を再開。誰もが「三鉄はもう終わり」と想像していたころ、「会社の存続より地域が大事。地域の足として動かすぞ」の大号令のもと、一致団結して復旧に取り組みました。苦しくても明るく、真っ暗闇の中でもジョークを飛ばし、励まし、助け合ってきた3年間。そしてその三鉄を応援してきた会社や個人の姿などが網羅されている貴重な証言も含まれた読み物です。

やや薄ら笑いをしながら本を手にしている総務部長の村上さんも登場します。震災直後は真面目な顔でしたが、最近はニヤケテいます。ネジが外れたままです。この本の出版には、岩手県書店商業組合が全面的にバックアップしてくれました。表紙の推薦文は、達増知事です。形だけの推薦文とは異なり、粗原稿から全てを熟読してきた達増知事ならではの温かな感想が述べられています。先日、三鉄の幹部職員をご招待した「三陸鉄道を勝手に応援する会・出版お祝い会」を開催しました。達増知事は「素晴らしい内容の本で裏話も満載。一家に一冊じゃなく、一人一冊」と大いにPRしてくれました。

単なる社員を褒めたたえる美談本ではなく、その時に誰がどんな行動をしたか、などこれからの災害にも役立つ事例集でもあります。後ろには、三鉄の30年の歩みの年表と、今まで支援してくれた方々のお名前がびっしりと載っています。もしかすると皆さまのお名前も載っているかもしれません。

2014.8.29 盛岡タイムス掲載

島越駅復活、名物駅長も復活

s-umi-0822

津波で大きく破壊された島越地区。三陸鉄道島越駅も12㍍もの強固なコンクリート橋脚や駅舎がことごとく破壊されました。島越地区の住宅は、ほぼ全戸が流出し、27年間、民間の駅管理者として頑張ってきた早野くみ子さんも自宅を消失しました。命からがら逃げ延び、仮設住宅暮らしを経て、本年6月に真新しい駅舎で再度、勤務に就きました。

島越駅のホームは、これ以上頑丈にできないと言われるくらいの堅牢(けんろう)な築堤となりました。宮沢賢治作品から命名されたカルボナード島越駅は、青い屋根、童話の世界のような建物が人気でした。土台を残して全てが消え去りました。宮沢賢治の石碑だけが奇跡的に残りました。海と直角に建っていたから壊されなかったようです。

新しい駅舎は、そのイメージを残し、れんが造りの立派ですてきな駅舎として生まれ変わりました。地域の住民で運営する駅業務の責任者に、再び早野さんが就任しました。早野さんは、三鉄の開業時からずっと駅業務をしており、三鉄1期生の社歴と全く同じです。震災の空白の3年を含め、30年目に再就任となりました。島越駅は、開放感にあふれ、清潔で快適な駅舎です。

三陸鉄道の人気で、毎日多くの観光客がこの駅を訪れます。そのつど一生懸命にお客さまと会話を交わし、いろいろな案内をしています。「まさかもう一度、この駅に立てるなんて、夢のようです」と大津波を振り返り涙ぐみます。

島越駅の目の前にある港から、大型の新造船が就航しました。大人気のサッパ船アドベンチャーに乗れないようなお年寄りや小さいお子さまには、大型で快適な船旅(80人乗り)が人気になりそうです。島越地区の復旧整備はまだまだ時間がかかりそうですが、ピー、という汽笛の音とともに車両がホームに滑り込んできます。震災前の風景です。早野さんあっての島越駅です。いつまでもお元気で、三陸鉄道とともに頑張ってください。

2014.8.22 盛岡タイムス掲載

うれしい心配りの三鉄

s-sann0815

大阪に転勤になった友人のまき君が電話で、「もうクタクタ。朝の9時なのに35度を超えたんですよ。そっちはどうですか」と聞いてきました。「うん、いまは爽やかな潮風で、気温は22度くらい。少し暑いかな」と答えますと、「もう、いじめないでくださいよ」と悲痛な声を上げました。三陸沿岸の気候は、首都圏から見れば理想の避暑地。日中に30度近くなっても、朝晩はクーラーは要りません。

いっそのこと、東京や大阪、群馬などの猛暑地帯に住む人たちは、こぞって岩手に移住すればいいのにと真剣に考えていきますと、「そうか、交流人口より定住人口が一気に増えて、2040年に消滅するぞ、なんて予測とは無縁になる。だったらのんびりと、インターネットはやめて糸電話にして、三鉄も最高速度25㌔。のんびりとした大都会ができるな。」なんて妄想を描いて一人ニンマリしてしまいます。

という妄想は別にしまして、三鉄宮古駅は、緑のカーテンが2階まで届いています。駅前の景観に一服の涼を作っています。ゴーヤもキュウリも社員が毎日一生懸命、愛情を注いできましたので、みずみずしい実がたくさん付いています。よく見ると、左側の手すりにはさみがあります。文章も書いてあります。「どうぞ自由に収穫してください」と。なんという太っ腹なサービスなのでしょうか。住民の皆さんも心得たもので、全部独り占めにするようなことはしません。1、2本いただいて、無人の緑のカーテンに軽く会釈しています。「ありがとう」と言っているのですね。三陸沿岸の爽やかな風は、人々の気持ちも実に爽やかです。決してあくせくせずにのんびりと。ゆったりとした時が流れていきます。

もっとも三鉄の望月社長は、全国からの講演依頼で大忙し。「たまにはのんびり」は許しません。大事なPRマンですから、せっせと稼いでいただきます。山菜採りと釣りと仕事で真っ黒に日焼けした望月社長。頑張ってください。

2014.8.15 盛岡タイムス掲載