「潮風宅配便」カテゴリーアーカイブ

バッタリー村村長の楽しみ

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「草野さんす、山のものは何一つ捨てるものはないのす」とバッタリー村木藤古(きとうご)徳一郎村長さん(83)が言います。秋晴れのすがすがしい日和の中、バッタリー村の裏手の山に、マツタケを求めて行ってきました。毎年ご招待を受けています。今年は2本、自力で収穫しました。昨年は0本でした。

山から戻り、柔らかな日差しに包まれたご自宅、工房で村長さんの作品を見せていただきました。木皮夢花バックと名付けた、なんとも言えない木々の優しさが宿る籠です。間伐されて捨てられる運命の木々を大事に使います。ヤマブドウ、オニグルミ、ウリハダカエデ、シナの木などの表皮を使います。水で柔らかく戻して編んでいきます。出来上がったら、自家製の薫製室でいぶします。するとごつごつした表皮に素晴らしい風合いの色が重なってきます。「縄文時代から大事にされてきた木々たちだけど、最近は見向きもされていない。みんな捨てられる運命の木々たち」と、いとおしそうに編んでいきます。取っ手のひもも表皮を糸のように裂いて編んでいきます。とても手間暇かかる作業ですが、そんなことよりも、再び人の役に立つものに生まれ変わる喜びの方が大きいようです。これらの木皮夢花バッグは、何一つ同じものがありません。一本ずつの木々の特徴により、形も色合いも変わってきます。それがむしろ味わい深い仕上がりとなってきます。工業製品には、決してまねのできない自然の味なのです。

山と共に暮らし、大抵のことは熟知している村長さん。バッタリー村の工房前には、宮沢賢治農民芸術概論の言葉が、木版にびっしりと書かれ掲げられています。

「世界がみな幸福でありますように…」は、まさに夢じい、徳一郎村長さんの願いでもあります。東日本大震災の時には大変心を痛め、いろいろなご支援をされてきました。すでに83歳となっていますが、山とともに暮らしてきた強靭(きょうじん)な肉体と瞳の輝き。まだまだ「夢じい」の夢は膨らむばかりです。

2014.10.24盛岡タイムス掲載

崎山小が三陸鉄道の復活勉強

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宮古にある三陸鉄道本社の会議室に、宮古市立崎山小の5年生19人が集まってきました。三陸鉄道の望月正彦社長が、三鉄の復活の経過を分かりやすく講演です。少なからず生徒さんの家や周辺も被害を受けています。嫌というほど悲惨な現場を見てきた子どもさんたちです。望月社長が、パワーポイントで写真や解説をちりばめ、悲惨な環境から立ち上がった三陸鉄道の様子をお話ししました。目を丸くして真剣に聞き入っていました。この写真は、映像を映すため部屋を暗くする直前ですので、先生たちも準備中です。決して横を向いているわけではありません。

望月社長は、どうして鉄道が必要なのでしょう、お年寄りや、皆さんが高校に通う頃には、どうしても必要ですよね、と問い掛けます。さらには、いち早く運転を再開したので、多くの住民の皆さんが助かったことなども勉強になったようです。引率の久保一真先生と、木村由紀先生も望月社長のお話を初めて聞いて、生徒さんと一緒に感激していました。三陸鉄道は、第三セクターの民間会社とはいえ、公共交通を運営する会社です。何よりも「地域が元気になるように」が会社一丸となった目的なのです。単なる経営の数字だけでは測りきれない大事な課題を背負って頑張っています。

JR山田線の宮古と釜石がつながれば、こうした小さい子どもさんたちの勇気となり、進学、通学にとても有益となります。今、三陸沿岸は、三陸鉄道南リアス線と北リアス線が運行し、間のJR山田線が分断されているため、つながっていません。一本のレールでつながることで、多くの希望や夢、さらには実際の経済にも大きな影響をもたらしてくれます。確かに車社会となり、多くの人たちの足は車になっています。それでも、この大きな大震災を乗り切り、本当の復興のためには、鉄道と車とが一体となって地域の交通として働かなければなりません。そんなことを学んだ大切な一日になりました。

2014.10.17盛岡タイムス掲載

元気に退院、にゃんこ駅長

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三陸鉄道を勝手に応援する会は、会員や県庁職員の応援を受けて、三鉄の各駅に動物駅員を設置する運動を続けています。彫刻は会員の植野義水先生。ボランティアの制作です。

大船渡盛駅には、特産の「大船渡サンマ」を高々と掲げた3匹の猫駅員がいます。ところが寄贈まもなく、大嵐の強風で体に損傷を受けました。「さあ大変」と三鉄職員(人間)が植野先生の修理工場に緊急入院させました。植野先生、自ら奥さまと引き取りに来られ、大船渡の宿に泊まり山海の珍味、魚介類を堪能したそうです。震災から3年以上たった今、ほとんどの食材が元通り戻っています。しかし食材が戻っても、調理や加工する人たちは十分には戻っていません。せっかくの最高品質の食材も、さらに磨きをかける職人さんがいればこそ育っていきます。

動物駅員に磨きをかける職人さん、植野先生の手にかかり、立派に完治して戻ってきた猫駅員さんたち。三鉄の南リアス運行部の社員たちが、「今度こそ絶対に倒れないように」と台座などを補強し、がっちりとくくり付けました。猫駅員たちもうれしそうに笑っています。

盛駅の猫駅員のほか、吉浜駅には「キッピンアワビを担いだ猫駅員」がいます。釜石駅には、ラグビー猫選手15匹と監督が、巨大なラグビーボールの上に乗っています。久慈駅、普代駅、田野畑駅、山口団地駅、宮古駅と合計8駅設置。猫ばかりではありません。ウサギや短角牛もいます。三鉄全26駅にはまだまだですが、少しずつユニークな動物たちを着任させていきます。

2014.10.10盛岡タイムス掲載

美味、三陸北部のマツタケ様

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マツタケ様を頂きました。くれた人はいい人です。とてもいい人です。ご覧ください。二つに切ったマツタケを焼いたのですが、幹には、まったく傷もなく、ただただ真っ白な透き通る極上のきれいさだったのです。収穫したところは、沿岸に限りなく近い三陸北部です。山田、岩泉、普代、久慈と岩手沿岸は品質のすこぶる良いマツタケの産地であることは、県内よりも県外に多く知られています。一説では日本最高峰とも言われています。では、見た目だけかという声も聞こえそうなので、味の実況中継をいたします。

まず、1本目は、高級なカツオだしを事前に濃いめに取りまして、そこへ遠慮なく大きめに裂いたマツタケ様をゴロゴロと入れます。弱火で土瓶の中で沸騰直前まで沸かし、取り出した図が左上です。恐る恐る、おちょこに注ぎ、神に感謝しながら一口、ごくっ。天女が舞い降りた瞬間、喉元と胃袋が感動のあまり震えてしまいました。ちびりちびり…ごく。この繰り返し。幸せとは、気持ちじゃなく「味」だったと言い聞かせたほどです。

次に、2本目の大きめのマツタケ様を二つに裂きます。これをレンジに銀紙を敷いて強火であぶりました。やや汗がかいてきたころ、マツタケにうっすらと湿り気が出たころを見計らい、スダチをさーっとかけてガブ。鼻腔にくぐり抜ける香りは、マリリン・モンローの有名な香水なんて幕下もいいところ(すみません、若い人には分からないシーンですね)。とにかく金メダル、素晴らしい香りなのです。香りマツタケ味シメジ、という例えがありますが、明らかに間違いです。三陸産マツタケの味は、実に優雅で気品にあふれ、私の舌も「もうなんも言えねえ」と感動しすぎてヨダレまみれになっていました。

大震災から3年半。少しずつ自然の恵みも戻ってきています。少しずつでも、故郷の香りが戻り始めてきています。

2014.10.3 盛岡タイムス掲載

大学生に響く秋富医師の語り

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ちょっと写真が小さいので表情が見づらいと思います。すみません。この風景は三陸青少年の家研修センターでの一こまです。で、何をしているかといいますと、防災を学ぶため、毎年岩手を訪れている和歌山大学の学生さんたちの勉強風景です。被災地から学び、次の南海トラフなどの大災害に備えようと、現場、現実、現状を学ぶ研修の旅です。震災後、いち早く応援に駆け付けてくれたボランティアサークルの学生さんたちが、代々引き継ぎ、今年で4回目です。

壇上で講師を務めているのは、岩手県高度救命救急センターの秋富慎司医師です。河原れん著「ナインデイズ」の主役を務めた方でもあります。私がコーディネートしている関係から、「秋富さん、かくかくしかじか、講師をお願いしたい」とご依頼。二つ返事で無報酬の講師となった次第です。

秋富先生の話は、震災直後の人命救助の生々しい体験と記録でした。「一人でも多くの命を救う」と大奮闘されました。道路が寸断され、ヘリコプターしか手段のない中、いかに被災現場まで救急車を到達させるか、その間の「命」をどうやって内陸の病院まで運ぶか、苦悩の連続でした。

3年6カ月を経過した現在、そうした生々しい記憶は薄れていきます。たった3年前に地獄絵図のような現場があったことを学生さんたちに伝えているところです。和歌山大学の学生さんたちは、皆さん真剣な瞳で先生を注視していました。そして、これから自分たちの郷里を襲うかもしれない現実の中、どうやって行動すればいいかを学んでいます。無関心になることは簡単なことです。でもあえて学び、行動へ移す道は険しいものです。でも誰かがやらなければ、復旧や復興はままならないことを少しでも知ってもらいたいと、秋富先生、一生懸命お話ししてくれました。現場体験者の声が、遠く離れた地域へ生かされるなら、と思う研修会でした。

2014.8.26 盛岡タイムス掲載