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潮風宅配便 「選手交代・三鉄新旧社長」

20160714

望月正彦さんは、三鉄震災復旧の立役者として八面六臂の大活躍で、東西南北、日本中を講演して歩き、三鉄をPRしてきました。大震災の少し前に期せずして着任し、それが人生の大きな節目となりました。釣りや山菜、キノコ採りと大好きなアウトドアをたっぷり満喫するつもりの社長就任でしたが、あの3・11で180度の方向転換となりました。その隣にいるのは、中村一郎さん。3・11の時は岩手県沿岸広域振興局長として陣頭指揮にあたってきました。たまたま釜石市内のホテルでセミナーを開催している最中に被災し、どうにか職場に戻った経験をしています。二人はそれぞれの立場で3・11の現場にいたのです。

中村一郎さんは、その後県庁に戻り、復興局長として震災復興の指揮を執ってきました。

6月24日、三陸鉄道の株主総会が開かれました。その席で望月正彦前社長から中村一郎さんに三陸鉄道の社長が引き継がれました。とてもすごい人事なのです。新社長となった中村一郎さんは、とっても温厚で人徳があり、県職員からも慕われてきました。望月正彦さんが、三鉄復興の第一弾を担ってきたとするなら、中村一郎さんは、次のステージ、JR山田線の一部移管を目指した第二弾の指揮を執ることになります。第二弾は、三鉄にとってはいばらの道です。少子高齢化が進み、大事な定期券利用の高校生が激減していきます。また163キロと、日本一長いローカル線となり、その運営維持費は膨大な金額となります。難題だらけの三鉄社長の就任は、おそらくめまいがするほど苦労覚悟の大事業かもしれません。それでも、「明るく、前向きに三陸沿岸、そして岩手県の希望の鉄道になりましょう」と社員の皆さんへ抱負を述べました。未曽有の大災害や想像を絶する危機的状況の中において、私たちが学んだことは、「強いリーダーの存在が成否を分ける」、ことでした。望月正彦さんから中村一郎さんへ、ともに強く優しいリーダーです。沿岸各地も復興道半ばですが、前に向かって進む重機関車のごとく、夢を持って進んでいく三陸鉄道の姿が浮かんできます。

元若大将、盛岡で被災地応援

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若い時は「若大将」でした。盛岡の大通り中央付近の路地にある「寿司わか葉」の主人・千葉勝司さんと愛娘の希(のぞみ)さんです。実家は気仙沼にあります。毎週気仙沼に戻り、ネタを仕入れてきます。船乗りや魚屋に友人が多く、自身も魚大好き人間で、とうとう寿司(すし)屋になってしまいました。

気仙沼特産の「フカヒレ」や「もうかのほし」「ハーモニカ」「マカジキ」など珍しいネタが常時そろっています。震災でガタガタになった郷土が徐々に戻っていく姿に喜びをかみしめながら、自慢の食材をお客さんに勧めます。寿司へのこだわりは厳しく、手を抜くことは許しません。奥に写っている弟子は、手を抜いているのではなく、休めているだけです。いかにも昔風の怖い親方か、というと実は愛嬌(あいきょう)たっぷりなのですが、威厳を保つため、若干格好を気にします。ぼそぼそと話す口調が客席を和ませます。愛娘には厳しく「早くしろ、まごまごするな」と威圧します。顔はニヤケながら。

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この親方の特徴というか、技は「盛り付けのセンス」です。日本調の顔からは想像できないほど、フランス的というか洋風というか、トッピングの野菜たちを彩り美しく芸術的に盛り付けます。もはやメーンの魚介類が主役ではなく、脇役たちが主役になっているようです。「親方、顔に似合わず、きれいに仕上げるね」と褒めると、「…」と黙ります。照れているのか怒っているのか不明です。愛娘の希さんは、日本酒とワインに精通しています。というか自分が好きなので、気にいった酒をそろえるのが趣味のような感じもします。きっと飲兵衛です。

気仙沼自慢の寿司ネタ、魚介類をよりおいしく、楽しく出していきたい、それが郷土の応援と、きょうも頑張っています。昼はちなみに1000円で豪華なランチセットになっています。

2015.2.6盛岡タイムス掲載

遠野ふゆ物語どべっこ列車

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遠野市が2003年、全国初の「どぶろく特区」に認定され、民話のふるさとの魅力がパワーアップしました。本年1月12日、まだ正月気分も抜けない中、遠野ふるさと公社が三陸鉄道南リアス線の豪華なレトロ列車を貸し切り、「遠野ふゆ物語・どべっこ号」を走らせました。本田市長さんも駆けつけ、乾杯と同時に車内は一斉に盛り上がりました。42席の予約はすぐに満席となりキャンセル待ちが出るほどでした。車内の司会進行はふるさと村支配人佐々木るみ子さん。軽妙な司会進行であっという間の2時間でした。

手前に見えるのが「どぶろく」です。はち切れそうな笑顔の主は、IBC岩手放送の鎌田社長さんです。すでに2本目。「飲みやすい」「おいしい」を連発して、ぐいぐいと飲み干していました。お隣は、県議会議員の工藤勝子先生です。写真には写っていませんが、三鉄望月社長から三鉄の説明を受けてしっかりとメモをしているところです。実に勉強家なのですが、「どべっこ」も鎌田社長同様、ぐいぐいとお飲みになられておりました。

鎌田社長さん、よほど楽しかったのか、3本目を空けた頃から車内を回り、皆さんにお勧めする三鉄アテンダントになりきっていました。遠野ふるさと公社がこの日のために作った特製お弁当、これがまた最高においしい中身でした。食べ終わった空箱を鎌田社長さんは、自ら集めゴミ箱へ運んでおりました。参加する側のマナーもしっかり身に付けているのですね。拍手です。

何と言っても「気軽に予約可能」な三陸鉄道です。お友達同士の誕生会列車や、おじいちゃんの古希祝い列車などアイデア次第でたくさん楽しめます。ぜひ内陸の皆さま、三陸鉄道を自分たちで貸し切り、三陸の旅を楽しんでみてはいかがですか。もちろん、普通乗車も大歓迎です。沿岸に来てくれること自体、復興応援なのです。

2015.1.23盛岡タイムス掲載

徳じいの夢花籠 祝村長在位30年

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久慈市山形町(旧山形村)にバッタリー村があります。都会とは真逆の生活ときれいな空気が一日中流れる、のどかな山村です。村長さんは木藤古徳一郎さん。84歳。30年前に「山には山の暮らしがある。都会をまねする必要はない」と開村し、現在まで多くの学生さんを中心に、小さいお子さんからお年寄りまで、多くの人たちに山村体験を提供してきました。元祖体験型教育旅行です。

木藤古徳一郎村長さんは、「徳じい」と親しみを込めて呼ばれています。その徳じいから年初にとても素晴らしい山の恵み芸術作品が送られてきました。「木皮工芸」の「夢花ざし」と言います。手前に見えるカーボーイハットが何とも言えない趣です。間伐などによって不要になった廃棄木材の樹皮を見事に生き返らせた作品です。使用する木々も多彩です。尊敬する宮沢賢治先生の言葉が書かれています。「世界全体が幸せにならない限り、個人の幸せはあり得ない」という言葉です。

徳じいは、大震災直後から遠く離れた三鉄久慈駅に出向き、また野田村などの被災地を回り心の大事さを願うボランティア活動をしてきました。徳じいの言葉には、暖炉の火より温かな思いが込められています。山々の暮らしに誇りを持って、人を大事に思いやり、自然と共に生きてきた徳じい。30年もの長い間、本当にご苦労さまでした。

筆書きのお手紙には「84歳になっていよいよ人生の本番。さあこれからだ」と書かれていました。大好きな「夢」の文字が輝いています。2015年元旦、素晴らしいお年玉となりました。いつまでもお元気でバッタリー村を続けてください。(バッタリー村の語源はインターネットで検索を)

2015.1.9盛岡タイムス掲載