待ちに待ったJR山田線(宮古―釜石)が、昨年末にJR東日本と三鉄で握手、合意しました。歴史的な出来事です。長い間、被災地沿岸の住民のために「鉄道をつなぐことが復興の証し」と必死に取り組んできた望月社長さん、社員の皆さん、岩手県交通対策室の皆さま、ご苦労さまでした。JR東日本さんも、最大の努力をしてくれました。「一本になれば、三鉄と一緒に観光を盛り上げます」と言っています。皆さんに拍手ですね。
「もう鉄道はいらない」とか「三鉄への負担金が出てくる」とか、「無駄な金」とか、いろいろ反対、批判の声もありました。その声には、地元の本当に必要としている人たちの声は反映されていませんでした。山田町や大槌町の仲間たちは「三鉄が走ってくれれば多くの人たちが来てくれる。観光客へのアピールも大きい。何より通勤通学の大きな安心につながる」と期待していました。震災直後に、山田町の観光物産館「とっと」には、すでに「未来の山田町を走る三鉄」の模型が走っています。住民の人たちの思いが詰まった模型です。
誰からも愛される三陸鉄道。今やその名は全国区です。三陸は何県?と言っても、なかなか岩手と言えない全国の人たちが、「三鉄は岩手県」と言えるのです。それだけ岩手県のアピールには格好のブランドなのです。しかも三鉄は「自分だけ」の独り勝ち的体質ではなく、公平中立の公的鉄道なのです。三鉄が及ぼす地域への経済波及効果は想像よりずっと大きなものです。
「笑顔をつなぐ、ずっと…。」は、三陸鉄道のスローガンです。岩手県沿岸が一本の笑顔レールでつながります。開通までには数年を要しますが、今まで待っていたのですから、あと数年くらいは十分待てます。新年の大きなお年玉となりました。
2015.1.9盛岡タイムス掲載