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三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 社内一資格免許の多い男編

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黒坂 誠 38歳 独身。岩手県の北、洋野町(種市)生まれ

見ての通り、関西お笑い系の顔つきである。吉本興業に入っていればと悔やむ日々。一見温厚そうに見える黒坂だが、免許の種類がすごい。大型特殊自動車免許はもちろん、1級土木施工管理技士、消防設備士、危険物取扱、特殊無線技士、フォークリスト運転技能、ガス溶接技能、刈払機作業従事者などのほか、ありとあらゆる作業関係の免許を取得しているのだ。

三鉄へ入社する前は、交通事業のエリートと呼ばれる東京地下鉄株式会社(東京メトロ)で10年技を磨いてきた。長男のため、戻れ戻れの親族の大合唱でUターン。そこから三鉄へ入社した。無我夢中で働いていたら6年後に大津波。心底参った。まさか、そんな、の繰り返しながら、社員一丸となった復旧工事、熱い魂の塊に触れて目覚めた。異常なほど働きまくる先輩たち。名前は言えないが(KODAとかo-zaikeとかokamotoとか)ものすごいきつい労働の連続にも疲れた顔一つしないで頑張る先輩、同僚たち。異常な集団を目の当たりにした。「三鉄がすごく好きになりました」と述懐している。Uターンして三鉄に入社したのは、たまたま求人があったから、という程度だった。

生まれの種市町(現洋野町)は、目の前が海で、天然ホヤやムラサキウニの産地であり、常に新鮮な魚介類に溢れている。でも魚介類は嫌いだった。肉のほうが好きだった。

思い出としては、久慈と陸中野田の間を定期券で高校に通ったことだ。ここで三鉄との接点があった。しかし特に感動はなかった。

今は変化した。資格は多いが「結婚歴」は無い。唯一既婚者という資格がないのだ。震災後、一躍人気となったのは、鉄道男子、イラストのキャラクター社員だ。生の独身リアル三鉄マンがここにいるのに、なぜか無視されてきた。キャーキャー言って三鉄に乗り込む若い女性たちは、どこに真実があるかをわかっていない。華やかなスポットを浴びる目立つ場所にk本部長は配置してくれない。それなら自力で目立つのみ。黒坂は今日も黙々とラッセルカーを走らせる。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 緻密かつ温厚、硬軟併せ持った鉄道マン

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大在家 辰也 おおざいけ たつや 50歳

 この男、「妥協を許さない緻密人間」なのだ。一期生入社の中では若い部類にはいるが、すでに運行本部担当部長の重責を担う。写真でもわかるように、自分では「高倉健」とダブらせてポーズを取っている。

総務、運転士などを経験してから、天職ともいえる車両担当なった。北リアス、南リアスの全車両を管理する。とにかく徹底して車両の診断を行う。些細な欠陥も見逃さない。清掃だってチリひとつ見逃さない。「安全運行はきれいな車内から」とすべてにおいて車両の診断に神経を注ぐ車両ドクターなのだ。昼食の魚だって、骨の間の僅かな肉片も見逃さずきれいに食べる。まるで骨の標本のような姿の魚が皿の上に残る。

学生時代は、久慈高校に「大在家あり」と言われたほどのバスケットボール選手として鳴らしたらしい。本人は「有名だった」と言うが確認はできない。そのためか、スポーツはなんでも得意だ。バリバリのバンカラかというとそうでもない。パソコン知識に関しては社内一なのである。つまり緻密とバンカラが同居しているのである。

ただ、三鉄の社風というか、大在家の信念というか、ONとOFFはしっかりと区別する。飲んでまで部下をこまごまと叱責したりはしない。OFFになったとたん、ニコニコとソフトな顔になってしまう。そのためか、厳しい指導者ながら部下の信頼は厚く、以外にも女子社員にも人気が高い。金野本部長真っ青である。次期本部長候補として、表舞台の橋上、裏方の大在家、二人のライバル関係も面白い。その前に金野本部長という大きな壁があるが、「定年は金野本部長が先」と二人とも意に介さない。

趣味は車とゴルフだ。車は常にピカピカに保ち、車内はチリひとつない。「あまちゃん」で有名になった表舞台の社員より、こうした裏方社員こそが「ぽっぽや」なのだと夕日を見つめる大在家の顔が光っていた。

 

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 NO1三鉄プロダクション所属MC

6のコピー

橋上和司(はしかみかずし) 50歳。 多数のぽっぽやタレントを輩出している三鉄において、もはや金野本部長を抜き去りメインポジションを獲得している。話法は華やかである。それでいて嫌味が無いので当然引っ張りだことなる。テレビカメラの前で物おじしない。

三鉄第一期生として、開業から現在まで生き抜いてきた。車掌、運転士(弟は現在運転士・見た目は弟がはるかに勝っている)、駅長などを歴任。現在は、運行本部担当部長へ昇格しているが、久慈駅長のほうが、通りがいい。ご存じNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の久慈駅長杉本哲太扮する大吉駅長は、まさに橋上駅長なのだ。仕事中にさぼって喫茶リアスでお茶し、仕事中に平気で抜け出し春子を追いかける、アルコールは飲まない。NHKの取材能力の高さに感心する。実際はどうか。まあ仕事中に喫茶店に入り浸れるほど豊かな会社じゃない。春子を追いかけたら愛妻に即刻離婚。アルコールは浴びるほど飲む。まったく真逆のモデルなのだ。それでも持ち前のホスピタリティ溢れるサービス精神は、当時のプロデューサーはじめ撮影スタッフから絶大な信頼を得た。橋上なくして「あまちゃん」はあそこまで人気番組にはならなかった、というのが定説である。しかし、能年玲奈ちゃんはそれでも輝いていたと思う。橋上の手の垢が付かなかったことだけが救いである。

一方「震災学習列車」では、たびたび参加学生を泣かせる名ガイドでもある。朴訥風の話し方。ポイントとなる被災現場での間の取り方。すべてが一流である。ただの目立ちたがりではない。何しろ久慈方面での人脈はものすごい。市民ならだれでも知っている。(嫁の力というひがみの声もあるが)

豆に隅々まで顔をだし、愛嬌ある顔で友達になる。飲食店の女将も漁師も銀行の受け付けも、みな友達になる。市長選に出ればE市長はきっと真っ青になるはずだ。

今では、北の橋上、南の吉田、助演男優級が金野、冨手、と言われる。それに味のある運転士たちが加わり、三鉄を全国区へ浮上させてきたのである。当然であるが、それでも主演男優は望月正彦社長。これは揺るがない。

こうして紹介すると、テレビやラジオに引っ張りだこの「三陸タレント」か、と言われそうであるが、これが謙虚、控えめ、照れ屋、はにかみ屋、決して威張らない。人気の秘密を解剖すると以上のことになる。

情報であるが、「あまちゃん」ロケ中の膨大な裏話を持っている。それを目当てに近づけば、きっと秘密の話が聞けるかもしれない。橋上は口が固いが開けるのも早い。きっとニヤニヤして話す。間違いない。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 真面目男編

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三浦 芳範 54歳 見るからに「実直」なイメージを醸し出している。会社では車掌も務めたが、現在の観光部門の担当になってから頭角を現し、今では旅行業が天職と言えるほど。

三鉄では毎朝朝礼を行い、その際に抽選で「1分間スピーチ」を行う。内容は自由だ。三浦が当たると1分間が5分になる。一生懸命話す。同じところを反復するためなかなかまとまらない。しかし「実直」な性格であり、最後までしっかりと話さなければ気が済まない。社員たちはじっと聞いている。忍耐強いのだ。

高齢女性には抜群の人気だ。三鉄ツーリストが例年実施する「青森・恐山ツアー」は三浦が添乗する。というか添乗員が三浦でなければ応募が激減する。何しろ親切である。こまごまと嫌な顔一つせず、笑顔で優しく接してくれる(参加の75歳のおばあさん談)。恐山が目的なのか、車中の三浦が目的なのか、大人気のツアーとなっている。

東日本大震災で壊滅的打撃を受けた大槌町で生まれた。知人友人、親せきも多く一応に大きな被害を受けた。三浦の心は大きなダメージを受けたが、持ち前の強い精神力が立ち直りを早くした。その強い精神力は野球で培われた。

中学高校と野球に明け暮れた。4番でファーストが自慢だ。社会人野球でも4番を任された。ただ、その後は体重が増え続け、とうとう90キロを超えた。あまりの無様な姿を鏡で見て、ダイエットに取り組んだ。現在は73キロまで落とし維持している。

趣味のアマチュア無線を楽しんでいる。見知らぬ仲間との交流は何よりの息抜きだ。思いっきり話せることもストレスの解消に役立っている。会話が通じているかどうかは微妙だが。

三鉄フロントライン研修や震災学習列車、企画ツアーなど休む暇もなく動いているが、疲れた顔や嫌な顔を決して見せないナイスガイである。妻一人娘一人の女系家族。優しさは家庭から育まれている。30年使い続けてきた冷蔵庫が壊れ、1月に高性能冷蔵庫に替えた。大きな買い物だったが、妻と娘の喜ぶ顔が何よりだった。当然その後は小遣いが減った。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 何役も務める不器用人間

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及川 修 60歳 重役である。肩書が多い。「料理長」「修繕課長」「大工課長」「電気修理課長」「花壇管理課長」。何重もの役職があるので重役。会社にとってなくてはならない貴重な人材である。

本業は当然「鉄道」である。三鉄の中でもトップクラスの鉄道専門家だ。山田高校を卒業後に入社したのは「神奈川臨海鉄道」。家庭の事情で岩手に戻り、「東北鉄道運輸」へ再入社。その後平成2年に強い推薦があり、「三陸鉄道」へ再々入社となった。一貫して鉄道畑を歩んできた。三鉄へ入社後は、力量を買われ、宮古駅勤務から大船渡、釜石、宮古、久慈、最後は宮古の運転課長として転勤が続いた。同じ県内とはいえ、四国と同じ面積の岩手県は広い。異動はつらかったことも多いが、三鉄管内をすべて熟知できたことが後々大いに役立っている。そうして60歳の定年を迎えた。まさに波乱万丈の鉄道人生であった。望月社長の強い希望と、なくてはならない存在として再雇用となり、参与として現在も同様の鉄道業務を続けている。及川は「望月社長との出会いにより、人生に明るく輝く太陽と巡り合ったような幸せな日々となった。苦労は何とも無い」と述懐する。

波乱万丈は、二度の津波体験も重なる。一度目のチリ津波、自宅付近の津軽石地区で悲惨な光景を目の当たりにした。次が東日本大震災だ。会社が丸ごと失われる絶望感に襲われた。しかし落ち込んではいられない。望月社長と共に線路の点検に動き、宮古と田老間を歩いた。その時に線路が大丈夫なこと、住民が線路の上を歩いていること、それらから早期復旧と無料運行を進言した。望月社長は即刻意見を聞き実行した。信頼されている喜びと大きな責任感に体が震えた。

高校時代はボート部に所属し活躍した。県大会で2位。東北大会でも2位。全国高校総体で2位。国民体育大会でも2位。すべてが2位だった。大将より参謀が似合っているのだろうと納得した。「2位じゃダメなんですか」と某女性国会議員の仕分けニュースに笑ってしまった。

社員との喧嘩も多かった。喧嘩というより理不尽な上司との軋轢が多かった。正論が通じない悔しさも味わったが、今日あるのは、そうした出来事のお陰と感謝している。

望月社長に海釣りに誘われた。久しくしていない釣りだ。仕事が終わり夜を徹して陸奥湾へ行った。こんなに海釣りが楽しいものだと、小さいころの思い出がよみがえった。今では月に1回、三陸の海を謳歌している。なぜか及川だけが釣れる日もあり、大恩人の望月社長に申し訳ない気持ちになるらしい。が、「実力だけは仕方がない、釣れてしまうから」とほほ笑む姿が目撃されている。

毎年年末の最終週末に「クリスマス釣りー」をするのが行事になっている。昨年は大きなナメタを釣った。望月社長にも大きなナメタが来ることを願うばかりである。