日別アーカイブ: 2015年1月27日

三鉄ぽっぽ屋「初々しいシリーズ」 住田のボンボン。菅野 訓貴 24歳

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皆川と同じ郷里、海のない住田町で生まれ育った。町の90%以上が森林であり、その森林のど真ん中(つまり山奥)に生家がある。一人っ子で大事に育てられた。菅野家の期待を一身に背負い気仙杉のようにまっすぐに育った。身長は180cm。体重100キロ。背の高い社員が多い三鉄にあっても、ひときわ巨体に見える。飯は丼3杯がアベレージだ。

「かんのでございます」は、今ではすっかり会社の名物セリフとして定着。電話口での「かんのでございます」は、社外にも知れ渡っている。

小さいころは、近所に熊や鹿、蛇やタヌキ、キツネくらいしか遊び相手はいなかった。いまでも実家に帰る途中、鹿の群れがお迎えしてくれる。なぜかほっとする瞬間だ。

趣味は神社仏閣史跡めぐりである。本は歴史ものが多い。年齢の割に「年寄じみている」と言われるのは、そのあたりが原因かもしれない。話し方は極丁重、丁寧、謙譲語が多いが要点を得ない。「うざい!」と叱られる。今年はすっきりした話し方にトライする。

宮古短期大学の卒業の年に東日本大震災があった。そのため卒業式はなかった。避難を兼ねて盛岡市郊外で一年間生活をした。その時に三陸鉄道のニュースを見た。衝撃が走った。福島原発や各地の甚大な被害風景のニュースが続く中、前向きに一生懸命復旧へ向けて頑張っている三陸鉄道の姿に涙が溢れた。もう一度宮古へ戻ろうと決心した。三陸鉄道の求人があった。すぐさま応募した。入社後は無我夢中で働いてきた。まだまだ体重の半分くらいしか仕事はできないが、夢は大きい。三陸沿岸をけん引する三陸鉄道の社員として、地域再生へ尽力していくことが責任と認識している。貫禄があるとよく言われるが嫁はいない。もちろん彼女もガールフレンドもいない。このままでは三鉄の常識である「独身のまま」の先輩方々と同じになってしまう。今年中に絶対ハッピーになりたい。彼女を連れて住田の実家に里帰りしたい。三陸鉄道の車両をすべて貸切り、披露宴を大々的に行いたい。夢は決してあきらめない。

 

三鉄ぽっぽ屋「初々しいシリーズ」最若手 皆川 哲也 22歳

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遠野市と大船渡市、陸前高田市の中間にある住田町。海のない町である。主な産業は林業で、町の真ん中を気仙川が流れる至ってのどかなところだ。その町で生まれ育った。真冬でもスーツだけで過ごす。寒くはないと言う。住田町の厳しい気候風土が皆川青年を逞しく育てた。真冬でも宿舎には暖房器具が無い。耐寒力、忍耐力は間違いなく社内一だろう。

小学校時代は野球選手だった。予選会はいつも弱い相手と当たり楽勝で県大会に進んだ。小学校5年の時には県大会優勝も味わった。

住田高校では常にトップの成績だった。そこから宮古の岩手県立大学宮古短期大学部へ進んだ。東日本大震災3・11の後の4月に入学した。その時から被災地で何か役に立つ仕事をしたいと思い、沿岸以外の就職には興味を持たなかった。その思いがピークに達したときに「三陸鉄道の求人」があった。即決断し試験を受け、正社員として採用された。

総務部に所属している。経理補助も行う。あまり口数が多いほうではなく、言われた仕事は黙々とこなしていく。嫌な仕事も率先して取り組む。朝は幹部と同じ時間、8時前に出社する。湯を沸かし新聞を整理し始業に備える。一日も休んだことがない。

夢は大きい。我慢強さは人一倍優れている。「今の上司は10年後には全部定年となっていなくなる。そこまで我慢して働いていれば総務部長になっている」と壮大でもないような夢だ。もう一つは、彼女がいないことだ。魅力はあると思うが気づいてくれる女性がいない。同じ郷里出身の菅野先輩にだけは負けたくない。はやく彼女を見つけて住田町で凱旋パレードをしたい。そうした大きな夢を抱き、今日も黙々と仕事をする。