「潮風宅配便」カテゴリーアーカイブ

平和が戻ったような声

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「緑の募金にご協力をお願いします」と、ありったけの声を上げて募金活動をする宮古市立藤原小学校3年の皆さん。街中にグループに分かれて頑張っています。約5秒間に1回、声を張り上げます。すでに100回以上も大きな声を上げています。声を聞いた通りすがりの親子さんが募金をしましたら、「ありがとうございました」と、自分の声が一番大きいぞ、と言わんばかりに三陸鉄道の2階にある事務所まで響いてきました。

大震災から3年3カ月を過ぎても、いまなお仮設でお暮らしの方々の苦労は絶えません。「まるで昨日のよう」と時間が止まった方々も多くいます。そうした方々に「平和が戻った」などと書くのはちょっと気が引けましたが、この小学校3年のお子さんたちが次の担い手として成長してくれると信じています。太陽が降り注ぐ駅前広場に元気な声が弾けています。なんだかほっとするような空気感が流れています。

3年前の募金活動は、主に大学生の皆さんが「東日本大震災支援募金」を行いました。募金といえば「震災支援」がここ3年間の「日常」でした。三陸鉄道も元通り動いています。「復旧ではなく復興だ」と以前よりも繁栄させると東京復活に懸けた後藤新平さん。確かに景気がよくなり活気ある街に戻ることは理想ですが、とりあえず「いつもの風景」に戻ることも大事なことですね。

藤原小学校の皆さんも、大なり小なり被害を受けたご家族がたくさんいると思います。今は小さな力でも、この子たちの未来はきっと大きな力になって羽ばたくと信じています。

2014.5.30 盛岡タイムス掲載

大きな太陽が沈んだ日

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竹内重徳さん70歳。5月15日天国へと旅立ちました。岩手県副知事を務め、三陸鉄道を勝手に応援する会の最高顧問として東日本大震災後も沿岸の復興に一生懸命取り組んできました。3月30日、竹内さんから電話があり、三陸鉄道の全線再開通式典に出られなくなった、という内容です。4月5日から検査入院するためとの理由でした。「たぶん1週間ほどの検査になると思うけど、大事な式典なのに申し訳ないね」と丁重なおわびでした。

どんなに忙しくても約束を必ず守る人でした。昨年10月ごろからめっきりと痩せてきて、周囲の友人たちも心配していました。2月14日の「瑞宝中綬章」のお祝い会には400人もの大勢の人たちが駆け付け、竹内人気を示してくれました。おざなりの式典ではなく、ご来賓の方々のスピーチも軽妙で、竹内さんのお人柄を示すエピソードの数々に会場は笑いに包まれました。主役の竹内さん、菅原文太似のヘアースタイルとおちゃめな笑顔、軽妙なごあいさつに誰もが安堵(あんど)していました。

誰からも愛された太陽のような人でした。三陸鉄道を勝手に応援する会では、会員が仕事を退任したときに「お騒式」と称してお祝い会をします。竹内さんは、副知事退任、岩手銀行退任の2回も「お騒式」を行いました。仲間が集まり、お経をあげて本当のお葬式のようにジョークで遊ぶお祝い会です。そのつど「俺はまだ死んでいないけど、生前はお世話になりました」とごあいさつ。いつも笑いの渦の中心にいました。

土木畑が本職でしたが、あらゆる情勢に精通し、冷静な分析能力は、ずば抜けて高く、多くの人たちがその助言で救われてきたと思います。高い地位に就いてきた方ですが、決して威張らず、同じ目線でお付き合いをしてくれた方でした。約1カ月の入院。あっという間に颯爽(さっそう)とこの世を去りました。

大きな太陽は沈みましたが、いつまでも多くの人たちの胸の中にともり続けていくことでしょう。お世話になりました。

2014.5.23 盛岡タイムス掲載

沿岸の山菜うますぎ

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5月の初めに、三鉄の望月社長と恒例の山菜採りに出かけました。「やませ」もなく快適な日和で心地よい汗をかきながらの探索です。三陸沿岸は、本格的な山奥に入ることなく、道路の横で「楽に採れる」のがすごいところです。コシアブラはツヤツヤした緑鮮やかな上等のものをレジ袋いっぱいに収穫。タラノメは、三鉄沿線の山道沿いを走りながら集め、こちらもレジ袋が満杯となりました。沢に降りて葉ワサビも採りました。コゴミも適度な伸び具合でしたが、こちらも太くて立派です。

とはいえ、探して採ってくるのは望月社長。私は安全な道路から一歩も、やぶに入らずに待っています。大量に山菜を抱えて戻ってくる望月社長から受け取る係です。実に楽で安全で楽しい係なのです。

で、そこからが私の本領発揮です。料理です。私は大半の人が「山菜は、てんぷら」と言いますが、油をあまり使わない料理に徹します。写真は「野菜ぎっしりウインナーとタラノメのオリーブオイル炒め」です。最初に緑を濃く出すために、タラノメをグリルで焼き、焦げ目をつけておきます。次にウインナーを炒め、そこへタラノメを投入。味は塩味に軽くペッパーをかけるだけ。このシンプルさがタラノメの味を引き立てます。この単純で手の込んだ料理に合うのは、やはりドライ味のビールです。ぐっと一杯飲んで、ポリポリとタラノメをかじる。春の幸せを感じるひとときです。自分で採った山菜のうまさは格別です。

コシアブラは、いつも振り掛けを作ります。軽く湯がいて固く絞り、みじん切りにしたところへ、みそを酒で溶いて混ぜます。そこへゴマと塩とかつお節を混ぜて「ぱらぱら」となるまで優しく指でかき混ぜます。これを豆腐にかけたり、炊き立てのご飯にかけていただきますと、それはそれは天国の味になるのです。三陸の海岸近くの山々の山菜がなぜおいしいのか、それは潮風、まさに潮風宅配便なのです。

高価だけどすごい調味料

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何がすごいかといいますと、「煎り酒」という伝統調味料がすごいのです。江戸時代の花形調味料でしたが、東北には伝わってきませんでした。ではなぜ、三鉄が伝統調味料を開発したか、それには深~い訳があります。

ある日の土曜日、商品開発コーディネーター五日市さんと、三鉄の望月社長さんが仲間と一緒に釣りに行きました。カレイやアイナメなど入れ食いで大満足の一日でした。そうしたら望月社長が「カレイやアイナメは白身だよね。刺し身に合うしょうゆって何を使っているの」と五日市さんに聞きました。「それなら以前試したことのある煎り酒っていうのがありますよ」と答えましたら、望月社長、目がらんらんと輝くではありませんか。「そ、その煎り酒って、お酒?」「いえ、調味料ですよ。江戸時代には主流だったようですよ」と。そこから開発が進みました。

その世界では一番の食いしん坊で県内トップクラスの和食の達人、盛岡の直利庵の松井親方の元へ走りました。10日後、こん身の煎り酒見本が出来上がりました。「もう、こんなおいしい調味料、離せないわ」と裕子さん。白身魚の刺し身にはこれ以上ない風味を醸し出す「煎り酒」ができたのです。そこからは浅沼醤油店に依頼し、何度も何度も松井親方のレシピを元に試作を繰り返し、ようやく4月に完成しました。

釣りに行ってから1年。三陸の魚がとびきりおいしくなる「煎り酒」です。釜石の浜千鳥の日本酒と、普代村の昆布に二戸の梅干しを加えて煮込みます。半量まで煮詰めると、琥珀(こはく)色の液体が現れます。これこそ「煎り酒」。

難点は「高価」なことです。800円もします。でも価値がありますよ。一度はお試しください。

再開に駆け付けてくれた人々

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4月6日。三鉄宮古駅前は空前絶後の人の群れ。大混雑の中にも笑顔、笑顔、全線の再開通を祝うお祭りムードが早朝よりあふれていました。国の要人はじめ議員、諸先生方々も多数ご列席。特設野外テント会場前では出店が並び、三鉄応援ムードであふれ返り、時折、突風が吹きましたが太陽も顔を出していました。

特設テントのステージでは、お祝いのさまざまなイベントが繰り広げられていました。そのステージに登場していただいた「山とケ」(山口ひろし&ケーナ)というミュージシャンがおりました。なんでも3月に栃木県足利のコムコム広場でライブを行い、その時に「つながれ三鉄プロジェクト」という寄せ書き集めをしてくれたそうです。著名な芸能人やファンの皆さまから多くのメッセージを集め、この日ワクワクしながら応援に来てくれたのです。それはもう、びっしりの応援メッセージであふれていました。三鉄職員たちも一つ一つ目を通し、遠くからもこんなに熱く、心を込めてくれている応援に感謝でいっぱいでした。ありがとうございました。

私はまだ聴いていませんが「ふわり」という曲を三鉄のために作ってくれたそうです。お二人のムードと重なりますね。

三陸鉄道は、全線再開通から間もなくひと月になりますが、依然として人気は高く、平日でも全国から多くのファンの方々が乗ってくれています。ほとんどの人がカメラ片手です。さすがに平日は、ほとんどの人が座れます。6日の大混雑時では、すし詰め状態ばかりでした。三鉄にとってはありがたいことですが、混雑の中、乗車いただいた皆さまには、ご迷惑をおかけしました。宮古を出る車両には「久慈」と表示されています。今までは「小本」でした。夢のようです。宮古から久慈までつながった喜びは、沿線地域の方々にとっては大きな喜びですが、三鉄職員にとっても安堵(あんど)の喜びです。