日別アーカイブ: 2015年1月29日

三鉄ぽっぽ屋「花形運転士シリーズ」 真打登場 隠れたスター運転士 下村 道博 41歳

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足が長い。背が高い。運動選手として活躍(市内駅伝大会・中学、高校で区間賞・卓球、バトミントン、陸上、テニス)。心が優しい。笑顔がいい。三鉄南リアス線最年少。こう並べると非の打ちどころがない。しかし欠点もある。控えめ過ぎる。そのため数々の取材攻勢の中にあっても、目立たない存在だった。吉田や菊池、佐々木光一などがテレビ新聞に出まくっていても、その姿をカメラの前にあらわさない。幻の運転士と言われる。まるでイワナのようだ。もう一つの欠点は、足が速いがのんびり屋である。決して急がない。急ぐ時も「悠々として急げ」、まるで作家の開高健のようなのだ。実は地元ではこの笑顔にファンが多い。上は90のおばあさんから下は幼稚園児と幅が広い。特に女子高校生に大人気で、先輩運転士、特にKからひがまれている。もう一つの欠点は「欲がない」。すぐに満足してしまう。今の幸せな職場で、家に帰れば好きなサッカーを見る。それ以上望まない。

最大の欠点は既婚者であること。三鉄独身帰属集団に入会できないことだ。

 下村は、平成6年に三鉄に入社した。バブルが弾け、就職氷河期の真っただ中にいた。友人たちも一向に就職が決まらず焦っていたが、下村は「何とかなるさ」と悠々としていた。先生から「三鉄があるぞ」と言われ、即刻決断。6月22日に入社した。下村は思い出した。昭和59年4月1日。超満員の三陸鉄道の開通の日に乗車したことを。沿道にも駅のホームにも、お祝いの旗を振る人で溢れていた。小さい時ながら鮮明に記憶していた。

車掌さんは背が高かった。光り輝いてまぶしかった。今は上司になって髪の毛が薄くなっているが。その格好いい三鉄へ入社できると、空を飛んでいるような昂揚感で一杯だった。

 東日本大震災でこの昂揚感が途切れた。が2年後部分再開。3年後全線再開と再び昂揚感を味わう。まるで30年前に三鉄が開業した時と同じく、沿道、駅、ホームに人が溢れた。こんな幸せなことを2度3度と味わえたことに心から感謝している。大きな声であいさつし、笑顔で毎日お客様を迎えたい。多くの人たちに支えられて復活した三鉄。今度は自分たちが三陸を元気にしたい。下村は今日も目立たず控えめに働いている。

 

 

三鉄ぽっぽ屋「不世出の名経営者」 社長登場 望月 正彦 63歳

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すでに知れ渡っているので、あえて「熱き男たちシリーズ」に登場させるには躊躇する感がある。しかしテレビ、新聞等のマスコミで登場する表の部分だけでは片手落ちとなる。裏の部分にスポットを当てて紹介することにした。

望月は花巻市で生まれた。大自然の真ん中で育った。父の影響からか、幼い時からヤマドリやタヌキなどを捌いて食べていた。根っからの自然児なのである。「ナイフ一本あれば暮らせる」と。

三鉄社員には、顔と行動が合わない社員が多い。望月もその一人だ。あれほどの大事業を成し遂げた凄さ、ど根性はこの顔からは想像がつきにくい。誰と会っても物おじせず、社のための交渉を粘り強く続ける体力と知力。幼いころは「神童」と言われ、優秀な成績で岩手県庁に入り、最後の職は盛岡広域振興局長。つまりプロパー職員のトップになる部長職で退職し、三陸鉄道の社長となった。「為せば成る、為さねばならぬ何事も、為さぬは人の為さぬなりけり」と詠んだ上杉鷹山公の言葉通り、会社のためなら何事にも屈せずいばらの道を進む。(顔からは想像しにくいが) 東日本大震災の壊滅的打撃から三鉄を復活させたのは、もちろん社員の力によるところが大きいが、望月なくしてあり得なかった。

よく「俺があれをやった、俺がこうして動いた」などと成果を誇張する人は多いが、望月は決して言わない。むしろ何事もなかったかのように釣りに出かける。

ここで「釣り」を出したが、これこそ裏の顔だ。春の山菜採り、秋のキノコ採り、その間の海釣り、一人暇な時の川釣りと、一年のスケジュール、行程表がびっしりと詰まっている。

山歩きに関しては「自然保護課」時代がより深くのめり込むきっかけとなった。自然保護課係長であったが、山菜破壊係長と呼ばれていた。自然保護課は、まさにその知識を深める格好の勉強の場でもあった。自然に対する知識を学び足腰を鍛えた。望月に弟子入りする人も多い。新聞社、大学教授、アナウンサー、各種女性と幅が広い。

釣りも弟子が多くいるが、最近は返上の憂き目に合っている。運転士の弟子に負け始めてきた。「もう師匠というのはやめてくれ」とポツッと呟いたらしい。年末から新年にかけての2回の釣行で屈辱を味わったためだ。「グレてやる、グレてやる」と涙ぐみ年を越した。

頭脳明晰、優秀な官僚であったが、おちゃめだった。酒は好きだ。しかし弱い。懇親会などでも1時間半が限度で、千鳥足でこっそりと帰ってしまう。酒席や遊びに仕事を決して持ち込まない。酒を飲んで部下に説教などはまったく見たことがない。終業と同時に切り替えられるのだ。

会社のPRはどんなに疲れていても断ることはなく積極的に行う。講演会も多く関西方面、首都圏などハードスケジュールをこなすが、釣りや山菜採りの予定があるときは、「這ってでも帰ってくる」と強い信念を持つ。

人懐っこい笑顔が持ち味で、女子社員にもすこぶる人気が高い。女性の好みは「藤原紀香」。

硬軟併せ持った不世出の経営者である。