月別アーカイブ: 2014年3月

ホームページの再開とお詫び

会長 草野悟
会長 草野  悟

会員の皆様、いつもご協力、ご支援を頂き心より厚く感謝申し上げます。東日本大震災から3年。様々な角度から多くの報道がなされました。三陸鉄道も3年目の主役級となり、毎日のように番組など取材が相次いでいます。当会も4月5日、6日の全線再開に向けて応援をして参ります。

今まで皆様にお知らせを兼ねたホームページ(http://santetuaid.com/)を立ちあげておりましたが、ホームページの管理者が体調不良で管理続行が出来ない状況にあります。そこで当会の事務局で新たにホームページを一新して立ち上げることにいたしました。年初ご挨拶など未掲載のお知らせも多々ありました。掲載できませんでしたことお詫び申し上げます。

今後はこのホームページを基本に、皆様に周知徹底を図って行きます。

当会は、事務局を盛岡の「はんこ広場盛岡店」の高橋社長にボランティアで事務局を引き受けて頂いております。ご存知のように、当会は皆様からの年会費3000円のみで運営しており、事務局経費はまったくございません。その労力を高橋事務局長に無償でお願いしている次第です。当会は、会員の相互理解、協力の下で今後も運営してまいります。三陸鉄道を勝手に応援する会の名前通り、当会には厳格な会則はありません。皆様のご都合に合わせて、自由に、勝手に参加しながら三陸鉄道や三陸沿岸の被災地応援を続けていくのが趣旨であります。今後ともよろしく会員として応援をお願い申し上げます。

潮風宅配便 「 中村雅俊さんの応援・まもなく全線復旧 」

潮風宅配便「中村雅俊さんの応援・まもなく全線復旧」

取材をしているのは俳優の中村雅俊さんです。中村さんはお隣宮城県女川町が故郷。大きな打撃を受けた町の一つです。そのためか、被災地への思いは人一倍強く、この日も「ここの島越の方々は本当にご苦労されているのでしょうね」と優しく思いやりをかけて頂きました。写真の背景は、津波で壊滅した島越駅のホームの造り直しをしているところです。低気圧の影響で沿岸は大雪となりましたが、4月の復旧へ向けて休むわけにはいきません。極寒の中、黙々と除雪をしながら築堤工事を進めています。中村さんは、以前のカルボナード島越駅の美しい写真も見ています。奇跡的に残った宮沢賢治の碑、発動汽船の詩を読み、「なんてすごい奇跡なんだろう。この碑はずっと語り継がれる宮沢賢治さんからのメッセージですね」と感慨深くずっと立ち続けていました。「この大震災を3年経ったからと言って、人々の記憶から消すようなことは絶対にダメですね。忘れずに大事な教訓として伝え続けることが大切ですね。継続こそ大事なキーワードなんです。」と熱く語ってくれました。まったく同感です。まだ3年しか経っていません。その間の被災者の方々、被災地の方々の辛苦は、とても表現することすら出来ない厳しいものです。応急仮設住宅での生活もまもなく3年。隣の音がすっかり聞こえる薄い壁の中。夏は暑く冬は寒い仮設の家。耐えながら復旧を待つ日々です。

「三陸鉄道がもう一度走ってくれることが私たちの希望です」と島越の住民のお一人がつぶやきました。もう一度津波がきても、今度は絶対に壊されない頑丈な堤防を造り、その上にレールを敷こうと設計された島越。まもなく試運転の真新しい列車が走ります。できれば暖かな春風に乗って走ってもらいたいと願っています。沿線の人たちの期待を受けて復活する三陸鉄道。4月6日全線再運行までもうすぐです。小旗を振って喜ぶ人たちの姿が浮かびます。中村雅俊さんのお人柄に触れた一日でした。わざわざお越しいただきありがとうございました。

至福の早採りワカメ

wakame

茶色のワカメを湯に入れた途端、瞬間鮮やかなグリーンに色が変わります。その2秒後、ポン酢のタレにつけ、素早く口に運びますと、「し・あ・わ・せ」とうなってしまいます。 もう皆さま、ご存知の「間引きワカメ」。すなわち「早採りワカメ」です。12月の末から2月の初めまで、極寒の海の上で、手で一本一本、ワカメの茎から幼葉を間引いていきます。昔はそのまま海中へ投棄していたくらい、あまり値がつかない「余りもの」だったようです。大震災前から徐々に、そのおいしさが見直されてきました。5年前は宮古の魚菜市場で1㌔100円程度。漁師からは大きなゴミ袋に入れた5~6㌔もあろうかと思えるワカメをよく頂いたものです。かみ応え、風味、潮風の香り、ふにゃふにゃの幼いワカメの赤ちゃんが、実に、しゃきしゃきと小気味よい音を出してくれるのです。これぞ岩手の冬の味。名物の毛ガニは高級ですけど、冬の味覚の代表としては全く遜色ありません。しかも格安。栄養満点。つまり…言うこと無し、なのです。間引きを終えたワカメは、春先、栄養たっぷりのきれいな海水にもまれ、立派なワカメへと成長していきます。「三陸ワカメ」と世界に名だたるブランドとなるのです。 実は、宮古の「うちだて」という寿司(すし)店で、田老と重茂、山田の「早採り」を食べ比べてみようとなりました。利き酒ならぬ利きワカメです。田老のワカメは、さすがに真崎ワカメというブランドの元、海の香りが口いっぱいに広がります。重茂は、荒々しい岩礁でもまれた、たくましい味です。山田は、リアスの海らしく女性的に優しい味です。 で、友人3人で目隠しテスト。結果は、3人全員撃沈。当たり前です。ただただ、グルメぶっただけでした。「うまい」この言葉だけが共通でした。岩手のワカメは最高です。また一年待ちます。おいしい岩手の海の幸が、またひとつ復活してきました。

3年目の3・11、まだ3年

3年目

2011年の3.11は「黒色」でした。どこもかしこも黒ずんだ泥がそこらじゅうに重なってた。

2012年の3.11は「灰色」でした。土煙と海にせり出すがれき、高く積まれたままでした。

2013年の3.11は「黒紫色」でした。幾分色が付き始めた感じもしました。

2014年の3.11は「土色と青」です。青空の下で泥にまみれたダンプカーが動き回っす。

3年もたつと言った人がいます。あの時のままという人もいます。「もういい」と言った人がいなくなりました。これからだ、と前に進む地元の若者がいました。県外に行った時、もう津波の映像は飽きたと言った人がいました。原発のことを言わなくなった政治家もいます。前に向かって「地域のため」と必死に進んできた鉄道があります。仮設食堂から借金をして新しい店を開店させた人もいました。そのまま仮設食堂で、出るに出られず料理を提供し続けている人がいます。あと数年は赤字にならないと言った建設会社の人もいました。純な気持ちで一生懸命ボランティアを続けている学生さんたちがいます。その学生さんたちに、仮設住宅自治会長さんが「何も持ってこなくていい。顔だけ見せてくれればうれしい」と孫を見るように目を細めました。繋温泉が土石流の被害に遭った時、「あの時のご支援は忘れません」と支援物資を運んでくれた女将(おかみ)さんたちに1万円を送ってくれた人がいました。仮設住宅からです。女将さんたちは涙を流しました。盛岡の駅前の旅館で全国から応援物資を集め、沿岸へ運び続けた親子がいました。みんな「お互いさま」の気持ちで動いてきた3年です。何がいいのか悪いのか、その答えはまだまだ先です。次の世代の人たちがしっかりと検証してくれるでしょう。海の色はすっかり元通りに戻り、魚たちが伸び伸びと泳いでいます。遠くの友人が「なかなか行けなくてすみません」と手紙をくれました。忘れずにいてくれることが一番の気持ちです。「風化」という言葉が出てきています。させないパワーが必要です。まだ3年です。