三鉄ぽっぽ屋「不世出の名経営者」 社長登場 望月 正彦 63歳

20150129

すでに知れ渡っているので、あえて「熱き男たちシリーズ」に登場させるには躊躇する感がある。しかしテレビ、新聞等のマスコミで登場する表の部分だけでは片手落ちとなる。裏の部分にスポットを当てて紹介することにした。

望月は花巻市で生まれた。大自然の真ん中で育った。父の影響からか、幼い時からヤマドリやタヌキなどを捌いて食べていた。根っからの自然児なのである。「ナイフ一本あれば暮らせる」と。

三鉄社員には、顔と行動が合わない社員が多い。望月もその一人だ。あれほどの大事業を成し遂げた凄さ、ど根性はこの顔からは想像がつきにくい。誰と会っても物おじせず、社のための交渉を粘り強く続ける体力と知力。幼いころは「神童」と言われ、優秀な成績で岩手県庁に入り、最後の職は盛岡広域振興局長。つまりプロパー職員のトップになる部長職で退職し、三陸鉄道の社長となった。「為せば成る、為さねばならぬ何事も、為さぬは人の為さぬなりけり」と詠んだ上杉鷹山公の言葉通り、会社のためなら何事にも屈せずいばらの道を進む。(顔からは想像しにくいが) 東日本大震災の壊滅的打撃から三鉄を復活させたのは、もちろん社員の力によるところが大きいが、望月なくしてあり得なかった。

よく「俺があれをやった、俺がこうして動いた」などと成果を誇張する人は多いが、望月は決して言わない。むしろ何事もなかったかのように釣りに出かける。

ここで「釣り」を出したが、これこそ裏の顔だ。春の山菜採り、秋のキノコ採り、その間の海釣り、一人暇な時の川釣りと、一年のスケジュール、行程表がびっしりと詰まっている。

山歩きに関しては「自然保護課」時代がより深くのめり込むきっかけとなった。自然保護課係長であったが、山菜破壊係長と呼ばれていた。自然保護課は、まさにその知識を深める格好の勉強の場でもあった。自然に対する知識を学び足腰を鍛えた。望月に弟子入りする人も多い。新聞社、大学教授、アナウンサー、各種女性と幅が広い。

釣りも弟子が多くいるが、最近は返上の憂き目に合っている。運転士の弟子に負け始めてきた。「もう師匠というのはやめてくれ」とポツッと呟いたらしい。年末から新年にかけての2回の釣行で屈辱を味わったためだ。「グレてやる、グレてやる」と涙ぐみ年を越した。

頭脳明晰、優秀な官僚であったが、おちゃめだった。酒は好きだ。しかし弱い。懇親会などでも1時間半が限度で、千鳥足でこっそりと帰ってしまう。酒席や遊びに仕事を決して持ち込まない。酒を飲んで部下に説教などはまったく見たことがない。終業と同時に切り替えられるのだ。

会社のPRはどんなに疲れていても断ることはなく積極的に行う。講演会も多く関西方面、首都圏などハードスケジュールをこなすが、釣りや山菜採りの予定があるときは、「這ってでも帰ってくる」と強い信念を持つ。

人懐っこい笑顔が持ち味で、女子社員にもすこぶる人気が高い。女性の好みは「藤原紀香」。

硬軟併せ持った不世出の経営者である。