カテゴリー別アーカイブ: 潮風宅配便

三陸に2015年の大きなお年玉

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待ちに待ったJR山田線(宮古―釜石)が、昨年末にJR東日本と三鉄で握手、合意しました。歴史的な出来事です。長い間、被災地沿岸の住民のために「鉄道をつなぐことが復興の証し」と必死に取り組んできた望月社長さん、社員の皆さん、岩手県交通対策室の皆さま、ご苦労さまでした。JR東日本さんも、最大の努力をしてくれました。「一本になれば、三鉄と一緒に観光を盛り上げます」と言っています。皆さんに拍手ですね。

「もう鉄道はいらない」とか「三鉄への負担金が出てくる」とか、「無駄な金」とか、いろいろ反対、批判の声もありました。その声には、地元の本当に必要としている人たちの声は反映されていませんでした。山田町や大槌町の仲間たちは「三鉄が走ってくれれば多くの人たちが来てくれる。観光客へのアピールも大きい。何より通勤通学の大きな安心につながる」と期待していました。震災直後に、山田町の観光物産館「とっと」には、すでに「未来の山田町を走る三鉄」の模型が走っています。住民の人たちの思いが詰まった模型です。

誰からも愛される三陸鉄道。今やその名は全国区です。三陸は何県?と言っても、なかなか岩手と言えない全国の人たちが、「三鉄は岩手県」と言えるのです。それだけ岩手県のアピールには格好のブランドなのです。しかも三鉄は「自分だけ」の独り勝ち的体質ではなく、公平中立の公的鉄道なのです。三鉄が及ぼす地域への経済波及効果は想像よりずっと大きなものです。

「笑顔をつなぐ、ずっと…。」は、三陸鉄道のスローガンです。岩手県沿岸が一本の笑顔レールでつながります。開通までには数年を要しますが、今まで待っていたのですから、あと数年くらいは十分待てます。新年の大きなお年玉となりました。

2015.1.9盛岡タイムス掲載

2014年から希望の2015年へ出航

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この浜は、宮古市の「震災メモリアルパーク中の浜」です。遠くに見える美しい海から、巨大な津波が襲ってきました。まるで想像できません。

このメモリアル公園は、環境省三陸復興国立公園が整備したものです。当時にぎわっていたキャンプ場には、共同炊事場やトイレなどがありました。それらが破壊されたままの状態で保存されています。ほんの少しの遺産でも、十分に思い起こすことができます。巨費をかけたメモリアル公園が別の場所で整備されようとしています。でも巨費をかけた立派な施設でなくても十分なのです。ほんの少しでも、破壊力や津波の高さなどが彷彿(ほうふつ)とするだけで、その価値はずっと後世に伝えていけるのです。

真冬の海岸では、黙々と公園整備をする作業員の方が、凍てつく海風の中、働いていました。3・11が来れば、多くの人たちが訪れてくるでしょう。忌まわしい出来事でしたが、時はすでに4年を経過しようとしています。都会では、震災関連の放映が不人気と聞きます。飽きてきたという人もいます。いまだに「宮城や岩手に行くには福島を通るから、子どもは行かせられない」と、とんでもないFacebookの投稿者がいました。まだそんなことを…と、がくぜんとしました。わずかな知識無意味な感覚だけで話す人が実に多いことに悲しくなってきてしまいます。

沿岸各地は、大規模工事の真っ盛りです。厳しい環境の中で働いている工事現場の方々には頭が下がります。立派な道路や防潮堤、建物などがどんどん姿を現してくると思います。願わくは、無機質な建造物だけが残るのではなく、温かな血の通った「復興」へとつながればと思うところです。2015年、JR山田線の復旧工事も始まります。一歩一歩、一つ一つ、温かな気持ちになる出来事が増えることを願っています。よいお年をお迎えください。

2014.12.26  盛岡タイムス掲載

三鉄キットドリームズ始動

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何ということでしょう。あの三鉄に野球チームができました。しかも「草野球日本一」を目指すという壮大な構想です。まだ実力がどこまでなのかも分からない段階で、ユニフォームや球団マークなど完璧に出来上がっています。このチームは、キットカットでおなじみのネスレ日本がバックアップし、これから復旧する宮古市田老球場をホームグラウンドに活動します。

球団組織がこれまたすごい。球団オーナーは望月正彦三鉄社長。監督は、山本正德宮古市長。ゼネラルマネージャーには、これも驚く大リーガーシアトルマリナーズの岩隅久志投手が就任。応援ソングはMONKEY MAJIK(モンキーマジック)が手掛けます。これだけでも意気込みがすごいことが分かります。主役の選手たちは、といいますと三鉄を中心に宮古市役所職員、地元野球好きな人たちで構成されます。

11月下旬に、宮古市の新里野球場で早速、練習の紅白試合を行い、山本監督が辣腕(らつわん)を振るいました。写真で見ると、いかにも強そうなイメージです。檄(げき)も様になっているように見えます。望月オーナーは「オーナーって人事もできるんだよね。50連敗したら山本監督は更迭かな」と不気味に笑います。草野球といっても、全国には強豪チームがひしめきます。当面は、かなり弱いチームだけを選択して「勝つ味」を覚え込ませることから始めるような戦略もありますが、そこにも負けると「いつかはキットカツ」とスローガンになってしまいます。

ただ全くの素人ではありません。写真左から2人目のプロテクターを着けたキャッチャーは、三鉄の施設部勤務の本格的野球青年鈴木君です。毎日、重い車両や重機を扱っていますので、体力は万全です。ただ入社後すぐに結婚したのが体力的に心配なところです。山本監督は「きょうは辣腕指導だけにしたが、これからは気合を入れて剛腕指導にする」と、ほえまくりました。

2014.12.19盛岡タイムス掲載

岩手のぬか床、銀座で大活躍

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手にしているのは、東京銀座の料理店の渋谷板長です。で、持っているのは、産直奥中山高原で販売しているぬか床です。素人でも簡単にぬか漬けができるようにと、商品開発コーディネーターの五日市知香さんと、ぬか床名人の生産者の皆さんが手塩にかけて開発した秀逸の商品です。ポリ容器に入っていて冷蔵庫へ収納できるサイズです。「銀座おおたに」という京料理の店で、私が東京時代にとってもお世話になりました。おかみさんがやせ衰えていた私を気の毒がって栄養をつけてくれました。おかげで必要以上に太ってしまったのは誤算でした。

「銀座おおたに」の渋谷板長さんに2年前に1箱をプレゼントしました。そうしたら毎日手をかけ、ただの一度もダメにすることなく大事にぬか床を育ててきました。お店の人気は、岩手奥中山のぬか床でつけたぬか漬けです。季節の野菜たちが彩りよく美しい器に盛られて出されますと、やぼったい東北が洗練された東北へと変身するのです。

京都の和食が食の世界遺産の元締めのようになっていますが、新鮮な三陸の魚介類や、遠野や県北のみずみずしい野菜が板長の腕にかかり、「食材の世界遺産は岩手」となってしまいます。とにかくおかみさん、板長は「岩手大好き応援隊」なのです。昔は若かったおかみさんは、「岩手の物はなんでもおいしいのよ」とお客さんにもしっかりとPRしてくれます。先日は、宮古の寒ビラメと、甘みぎっしりのホタテを京料理風でいただきました。「素材がいいから、あまり手を加えなくていいんですよ」と言われますと、なんとも言えない心地良さ。「もっと言って」と催促してしまいます。春には三陸沿岸で採れる山菜を使い、秋には岩手産キノコが主役となります。「銀座おおたに」が岩手一色で染まります。

岩手の皆さま、東京へ出張の折には、世界に誇る岩手の食材で京料理風をぜひ味わってください。お店は「銀座MATSUYA」の裏手、王子製紙本社前の小さなビルの3階にあります。ちなみにメニューはありません。豪華なコース料理(1万円)のみです。

2014.12.12盛岡タイムス掲載

ベトナム留学生におもてなし

 

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11月の中旬、今年一番の寒さでした。区界は真っ白になり、岩手山も雪化粧です。朝から小雪が舞う矢巾の高舘農園に、ベトナムからの留学生14人がリンゴ狩りにやってきました。19歳の若者たちで、実に礼儀正しく、まだ覚えたての日本語で「とてもうれしい。皆さまの親切を生かしてこれから頑張ります」「私の将来の目標は経営を学び国際交流に役立つことです」と、将来の目標と人生設計をしっかりと持っていました。居並ぶ大人たちは「日本の子どもたちに聞かせたい」とため息交じりです。

高舘農園の一家は毎年、無償でベトナムの子どもたちにリンゴ狩り体験を提供しています。一家総出で3日前から準備し、お昼に「芋の子汁」と農園自慢の「新米おにぎり」をたくさん作り振る舞いました。三陸鉄道を勝手に応援する会の阿部正樹顧問と、元岩手朝日テレビの川崎道生社長と私も参加してご相伴にあずかりました。阿部さんは、ベトナムとの交流の会の会長さんでもあります。

ベトナムの若者たちは、盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科に通い、日本の大学進学などを目指しています。雪もリンゴも初めての体験でしたが、きゃぴきゃぴ騒ぐだけの体験ではなく、天使のような純真な瞳で、一粒一粒、大事に収穫しました。何よりも素晴らしいのは、「感謝の心」をしっかりと表していたことです。

受け入れている学校の瀧澤正美理事長と工藤昌雄校長も一緒に摘み取り作業をし、貴重な体験をサポートしていました。若者たちがお礼にと、自国の歌を歌ってくれました。最初は全員で国家を、次は一人ずつ歌いました。カナリアのような美しい声で女子生徒が歌うと、日本のお父さんたちは大感動です。ベトナム語を理解しているかどうかは別として「素晴らしい」の大拍手です。

高舘家の皆さま、本当にありがとうございました。東京からこの日のために里帰りのようにやってきた川崎さんも感激、感動、感謝と涙を浮かべて初めてのリンゴ狩りを楽しみました。素晴らしい秋の一日でした。

2014.12.5盛岡タイムス掲載