三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」波乱万丈人生編 和田 千秋 51歳

20150114

ユネスコ世界遺産候補地「釜石 橋野高炉」に曲り屋の実家があり、そこで生まれた。釜石と言っても広い。橋野は遠野に近い山岳地帯だ。牛と豚が同居し、幼いころは牛も豚も人間と思っていた。冬は毎日、太い丸太が暖炉で燃え、天井に煙が立ち上り柱は真っ黒だった。日が暮れたら寝て、日が昇ったら起きる。大自然の真ん中の生活だった。「ビル」という名前と建物があることを知ったのは、高校になってからだ。

 

小学校のころは、木登りの天才だと言われていた。今は高所恐怖症。釜石に住みながら海を見たことが無かった。初めて釜石の海を見たとき、太陽が水平線から輝きを増しながら昇ってきた光景が目に焼き付いている。海が好きになった。その影響から、とにかく海の近くで自然の多いところを条件に家を建てた。大槌町鵜住だ。3・11、宝物にしていた子供の成長記録を含め、家、家財道具、衣服、すべてを津波で失った。見事なくらい「何も残らない」震災だった。残ったのは自分の命と家族の命。再起にはそれで十分だった。心に大きな傷を負ったが、三鉄仲間の復旧にかける熱気の輪に飛び込み、どうにか立ち直ることができた。

初めて見た海に憧れ、その海ですべてを失った。しかし三鉄運転士の誇りは失っていない。津波は恐ろしい。でも決して海は嫌いにはなっていない。運転席から見るキラキラした三陸の海はやはり好きだ。

 

三陸鉄道が復活した。頑張れば復活することを学んだ。再開通人気で、毎日大勢の人が乗車した。声をかけてくれる。大きな励みになった。何よりも可愛い女性の方たちと写真が撮れる。嬉し過ぎる。仲間も必死に働いている。これからJR山田線、釜石と宮古がつながる。その一番列車の運転士をめざしていきたい。ライバルは「泣きの佐々木運転士」と「虎舞の菊池運転士」だ。北のほうからは金野本部長が一番列車の美味しいところをきっと狙ってくるはずだ。ライバルは多い。でも盛から久慈までの160キロの一番列車は譲れない。