日別アーカイブ: 2014年12月16日

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 不器用ですから編

二橋

二橋 守 50歳

 岩手県の北部に山形村がある。現在は久慈市と合併し山形町となったが、山奥ののどかな山村で二橋は育った。遊び相手は、熊やカモシカ、川のカジカたちだ。春になると、周囲はどこでも山菜が採れ、秋になるとキノコで溢れる。冬が一番厳しく辛い。それを乗り越えて立派に育ってきた。

「まもる~」と大声で先生が追いかけてくる。守は必死に逃げる。授業中に教室を抜けだし山野を駆け回るワンパク少年だった。当然勉強はしない。

やがて二戸の高校へ進学し、東京の専門学校へと進む。まるで宇宙旅行へでも行ったような、山形村とは別世界の都会に驚き、バイトをしながら数年過ごした。しかし、何かが違う。春になっても山菜は出てこない。隅田川にはカジカがいない。人間が住むところではない大都会、そのくせ熊や鹿がいない。田舎に戻り三鉄へ入社した。人生が変わった瞬間である。人懐っこい顔で車掌を務めてきた。三鉄通学の高校生には大人気だった。不器用な三鉄社員の中では、稀に見る社交的性格の持ち主だ。そのため「教育旅行」を扱うツーリスト部門に配属になり、すぐに頭角を現してきた。貧乏会社の三鉄の出張規定は厳しい。そんな中でも、盛んに北海道や関東へ出張し、大いに羽を伸ばしながら仕事もしてきた。そんなに気軽に出張に行けるなんて、と社員からは「二橋マジック」と呼ばれ、不思議現象の一つにもなっていた。そうした手腕を認められ、2009年より、久慈市ふるさと体験学習協会へ出向となり、役人気分を2年味わってきた。久慈市は、岩手の中ではいち早く教育旅行や体験旅行に取り組んできたところである。二橋を迎え、教育旅行の来訪者が一気に増えた。そんな中、3・11となった。望月社長は、三鉄の観光部門を強化するため、久慈市から「二橋を取り戻す」と市に交渉し、契約任期前に三鉄へ戻した。戻った二橋は早速「震災学習列車」を立ち上げ、これが見事に大ヒット商品となった。丸く細い目、不器用っぽく聞こえる話口調。列車の中の学生たちは、二橋の迫真に迫る説明に涙を流す。二橋にしかできないガイドなのである。二橋の「震災学習列車」の企画は、2013年4月、部分開通した南リアス線でも取り入れた。すぐにヒットした。

不器用そうに見える二橋の特技は「ゴルフ」である。しかし、好きなゴルフだけは本当に不器用で上達しない。

もう一つ二橋の自慢がある。「あまちゃん」のロケ中、本部の二階から撮影風景を覗きこみ、真下にいたKYKYの胸の谷間を見たと。それが自慢らしい。キョンキョンファンの敵となった。天野アキだったなら、当然磔の刑である。

 

三鉄ぽっぽや「熱き男たち」シリーズ 不器用ですから編

 

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熊谷 松一(しょういち) 51

三陸鉄道南リアス線を管理する南運行部に所属。絶対寡黙の不器用人種である。漁師の町、三陸町綾里で生まれ育った。周囲は気の荒い漁師。病弱だった熊谷は、弱い体を克服するため、小学校に入りサッカー少年となり、スポ少で東北大会まで出場した。小さいころの自慢はこれだ。元気になった熊谷少年は、一気に開花し、野や山、海へと腕白ぶりを発揮し、鳥獣草花魚たちを友達に三陸の陽光を浴びて育っていった。それでも元来の不器用さは直らない。

やがて地元企業「三陸鉄道」へ入社した。勤務地は盛駅。先輩に現在の総務部長の村上や南運行部の責任者吉田哲がいた。上司の彼らは「寡黙」どころか、一日中冗談を言いながら明るく仕事をするネアカ人間だった。太陽のようにまぶしく見えた。「ずぶんの生涯をかけた仕事場だ」と、三陸鉄道の社員としての誇りもしっかりと育まれてきた。

2011年3月11日。あの忌まわしい大津波が郷土と仕事場を襲った。熊谷の3・11後の動きは「三鉄情熱復活物語・三省堂」に記されている。自分の友であり、子供であり、大切な仲間でもある車両が、鍬台トンネルに取り残された。熊谷は何度も真っ暗なトンネルに足を運び、車両に話しかけてきた。「頑張れよ、もうすぐ外へ出してやるからな」と。真っ暗なトンネルの中で涙を流しエンジンをかけ、車内を掃除し劣化を防いできた。その車両を外へ出すためには、津波で破壊された線路の修復をしなければならない。三鉄の仲間総出の難工事だった。連日、連夜の工事を経て近くの吉浜駅までどうにか線路を復旧させた。取り残された車両が無事吉浜駅へ移動してきた。生涯忘れることのない光景に感涙した。

不器用で話し方も下手な熊谷が、鉄道の再開まで被災地を案内する「三鉄フロントラインン研修」という被災地ガイドを行うことになった。初めてのお客様を迎える前日は、緊張のあまり一睡も出来なかった。何度もシナリオを練習した。本番を迎え、最初の声が出なかった。次の声は震えていた。それでも真面目で誠意ある新米ガイドに、お客様から大きな拍手が届いた。家に帰り泣いた。なんとしても三鉄は復旧する。それまで会社のためにガイドも大事な仕事になる。自分に言い聞かせ次のガイドへと向かった。いまでは立派なベテランガイドに成長した。多くのお客様を案内し、被災地の悲惨さ、前向きに動く姿、頑張っている浜の人たちのことを一生懸命話している。ご案内したお客様から、数多くのお礼のハガキが届く。熊谷にとって、とても大事なエネルギーであり宝なのである。

不器用な熊谷が、東日本大震災を機に成長した。逞しくなった。上司に言われた。「失敗は恐れるな。何とかなる。自信を持って行動しろ」。彼の大事な言葉になった。