月別アーカイブ: 2014年12月

三鉄ぽっぽや「熱き男たち」シリーズ 不器用ですから編

 

Hpのコピー

熊谷 松一(しょういち) 51

三陸鉄道南リアス線を管理する南運行部に所属。絶対寡黙の不器用人種である。漁師の町、三陸町綾里で生まれ育った。周囲は気の荒い漁師。病弱だった熊谷は、弱い体を克服するため、小学校に入りサッカー少年となり、スポ少で東北大会まで出場した。小さいころの自慢はこれだ。元気になった熊谷少年は、一気に開花し、野や山、海へと腕白ぶりを発揮し、鳥獣草花魚たちを友達に三陸の陽光を浴びて育っていった。それでも元来の不器用さは直らない。

やがて地元企業「三陸鉄道」へ入社した。勤務地は盛駅。先輩に現在の総務部長の村上や南運行部の責任者吉田哲がいた。上司の彼らは「寡黙」どころか、一日中冗談を言いながら明るく仕事をするネアカ人間だった。太陽のようにまぶしく見えた。「ずぶんの生涯をかけた仕事場だ」と、三陸鉄道の社員としての誇りもしっかりと育まれてきた。

2011年3月11日。あの忌まわしい大津波が郷土と仕事場を襲った。熊谷の3・11後の動きは「三鉄情熱復活物語・三省堂」に記されている。自分の友であり、子供であり、大切な仲間でもある車両が、鍬台トンネルに取り残された。熊谷は何度も真っ暗なトンネルに足を運び、車両に話しかけてきた。「頑張れよ、もうすぐ外へ出してやるからな」と。真っ暗なトンネルの中で涙を流しエンジンをかけ、車内を掃除し劣化を防いできた。その車両を外へ出すためには、津波で破壊された線路の修復をしなければならない。三鉄の仲間総出の難工事だった。連日、連夜の工事を経て近くの吉浜駅までどうにか線路を復旧させた。取り残された車両が無事吉浜駅へ移動してきた。生涯忘れることのない光景に感涙した。

不器用で話し方も下手な熊谷が、鉄道の再開まで被災地を案内する「三鉄フロントラインン研修」という被災地ガイドを行うことになった。初めてのお客様を迎える前日は、緊張のあまり一睡も出来なかった。何度もシナリオを練習した。本番を迎え、最初の声が出なかった。次の声は震えていた。それでも真面目で誠意ある新米ガイドに、お客様から大きな拍手が届いた。家に帰り泣いた。なんとしても三鉄は復旧する。それまで会社のためにガイドも大事な仕事になる。自分に言い聞かせ次のガイドへと向かった。いまでは立派なベテランガイドに成長した。多くのお客様を案内し、被災地の悲惨さ、前向きに動く姿、頑張っている浜の人たちのことを一生懸命話している。ご案内したお客様から、数多くのお礼のハガキが届く。熊谷にとって、とても大事なエネルギーであり宝なのである。

不器用な熊谷が、東日本大震災を機に成長した。逞しくなった。上司に言われた。「失敗は恐れるな。何とかなる。自信を持って行動しろ」。彼の大事な言葉になった。

 

岩手のぬか床、銀座で大活躍

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手にしているのは、東京銀座の料理店の渋谷板長です。で、持っているのは、産直奥中山高原で販売しているぬか床です。素人でも簡単にぬか漬けができるようにと、商品開発コーディネーターの五日市知香さんと、ぬか床名人の生産者の皆さんが手塩にかけて開発した秀逸の商品です。ポリ容器に入っていて冷蔵庫へ収納できるサイズです。「銀座おおたに」という京料理の店で、私が東京時代にとってもお世話になりました。おかみさんがやせ衰えていた私を気の毒がって栄養をつけてくれました。おかげで必要以上に太ってしまったのは誤算でした。

「銀座おおたに」の渋谷板長さんに2年前に1箱をプレゼントしました。そうしたら毎日手をかけ、ただの一度もダメにすることなく大事にぬか床を育ててきました。お店の人気は、岩手奥中山のぬか床でつけたぬか漬けです。季節の野菜たちが彩りよく美しい器に盛られて出されますと、やぼったい東北が洗練された東北へと変身するのです。

京都の和食が食の世界遺産の元締めのようになっていますが、新鮮な三陸の魚介類や、遠野や県北のみずみずしい野菜が板長の腕にかかり、「食材の世界遺産は岩手」となってしまいます。とにかくおかみさん、板長は「岩手大好き応援隊」なのです。昔は若かったおかみさんは、「岩手の物はなんでもおいしいのよ」とお客さんにもしっかりとPRしてくれます。先日は、宮古の寒ビラメと、甘みぎっしりのホタテを京料理風でいただきました。「素材がいいから、あまり手を加えなくていいんですよ」と言われますと、なんとも言えない心地良さ。「もっと言って」と催促してしまいます。春には三陸沿岸で採れる山菜を使い、秋には岩手産キノコが主役となります。「銀座おおたに」が岩手一色で染まります。

岩手の皆さま、東京へ出張の折には、世界に誇る岩手の食材で京料理風をぜひ味わってください。お店は「銀座MATSUYA」の裏手、王子製紙本社前の小さなビルの3階にあります。ちなみにメニューはありません。豪華なコース料理(1万円)のみです。

2014.12.12盛岡タイムス掲載

三陸鉄道 北リアス線「島越駅」に動物駅員寄贈

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当会会員の彫刻作家「植野義水」先生作の、「うさぎ駅員」を12月9日に寄贈しました。

「島越駅」は、皆様ご承知の通り、三鉄の駅の中では最大ともいえる壊滅的大打撃を受けたところです。12mものホームを支える橋げたが、津波で簡単に破壊され、跡形もなく民家もろとも押し流されたところです。本年6月にようやく築堤型ホームと駅舎が完成しました。田野畑村の駅舎管理を委託された早野くみ子さんは、三鉄開業以来の島越駅の名物駅長でした。自宅も職場も失い、落胆の日々が続いていましたが、新駅舎でもう一度三鉄業務に就くことになりました。今ではすっかり明るくなって、毎日お客様のお世話をしています。このうさぎのような可愛らしいご婦人です。皆様、島越駅に行きましたら、駅舎の建物の中のカウンターに座ってますので頭をなでに行ってください。

 

ベトナム留学生におもてなし

 

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11月の中旬、今年一番の寒さでした。区界は真っ白になり、岩手山も雪化粧です。朝から小雪が舞う矢巾の高舘農園に、ベトナムからの留学生14人がリンゴ狩りにやってきました。19歳の若者たちで、実に礼儀正しく、まだ覚えたての日本語で「とてもうれしい。皆さまの親切を生かしてこれから頑張ります」「私の将来の目標は経営を学び国際交流に役立つことです」と、将来の目標と人生設計をしっかりと持っていました。居並ぶ大人たちは「日本の子どもたちに聞かせたい」とため息交じりです。

高舘農園の一家は毎年、無償でベトナムの子どもたちにリンゴ狩り体験を提供しています。一家総出で3日前から準備し、お昼に「芋の子汁」と農園自慢の「新米おにぎり」をたくさん作り振る舞いました。三陸鉄道を勝手に応援する会の阿部正樹顧問と、元岩手朝日テレビの川崎道生社長と私も参加してご相伴にあずかりました。阿部さんは、ベトナムとの交流の会の会長さんでもあります。

ベトナムの若者たちは、盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科に通い、日本の大学進学などを目指しています。雪もリンゴも初めての体験でしたが、きゃぴきゃぴ騒ぐだけの体験ではなく、天使のような純真な瞳で、一粒一粒、大事に収穫しました。何よりも素晴らしいのは、「感謝の心」をしっかりと表していたことです。

受け入れている学校の瀧澤正美理事長と工藤昌雄校長も一緒に摘み取り作業をし、貴重な体験をサポートしていました。若者たちがお礼にと、自国の歌を歌ってくれました。最初は全員で国家を、次は一人ずつ歌いました。カナリアのような美しい声で女子生徒が歌うと、日本のお父さんたちは大感動です。ベトナム語を理解しているかどうかは別として「素晴らしい」の大拍手です。

高舘家の皆さま、本当にありがとうございました。東京からこの日のために里帰りのようにやってきた川崎さんも感激、感動、感謝と涙を浮かべて初めてのリンゴ狩りを楽しみました。素晴らしい秋の一日でした。

2014.12.5盛岡タイムス掲載

三鉄ニュース

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会員各位 殿  三鉄ニュース

1月1日、元旦「初日の出号」が北リアス線と南リアス線で同時運行します。特に南リアス線は、震災後初の復活です。北、南ともに初日の出の絶景ポイントに停車し、それぞれの想いを祈願します。たぶん、相当な人気になると思いますので、乗車希望の方(予約)は三鉄旅客サービス部(0193-62-8900)へお問い合わせください。

 

こたつ列車は、だいぶメディアに取り上げられています。冬の三鉄風物詩として大人気です。こちらは正月は1日~13日まで毎日運行。3月まで運行しますが土日祝日ですので、乗車したい方は「必ず確認」をお願いします。

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アサヒビール岩手支社が「三鉄車両デザイン缶ビール」を発売しました。中瓶と2種です。中瓶は4月の全線再開通の記念として発売しましたが、当然沿線の宿、料飲店でひっぱりだこ。それで一般の人も買えるように缶ビールの発売になりました。岩手県内のコンビニ、スーパー等で入手可能です。三鉄応援ありがたいですね。ちなみに、アサヒビール岩手支社長の梅垣さんは、当会の会員です。会員の働きをしています。

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三鉄キットドリームズ始動

ネスレ日本がスポンサーになり、宮古市田老球場をホームに、草野球日本一を目指して始動しました。真っ赤な球団ジャンパーを着て「カツ」を入れているのは、宮古市の山本正德市長です。張り切っております。「今はおとなくしているけど、次から剛腕を振るう」と宣言しました。ちなみに球団オーナーは三鉄望月社長です。オーナー曰く「50連敗したら監督は更迭」とのこと。勝手に応援する会としては、100連敗くらいして全国の話題になったほうが・・と無責任に考えています。

そこで、当会も応援団を結成無くてはなりません。元気で疲れを知らないタフな団長を募集します。会員の小山雄士さんが手を上げましたが、選考は幹部会で。

とにかくみなさん応援よろしくです。