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三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 NO1三鉄プロダクション所属MC

6のコピー

橋上和司(はしかみかずし) 50歳。 多数のぽっぽやタレントを輩出している三鉄において、もはや金野本部長を抜き去りメインポジションを獲得している。話法は華やかである。それでいて嫌味が無いので当然引っ張りだことなる。テレビカメラの前で物おじしない。

三鉄第一期生として、開業から現在まで生き抜いてきた。車掌、運転士(弟は現在運転士・見た目は弟がはるかに勝っている)、駅長などを歴任。現在は、運行本部担当部長へ昇格しているが、久慈駅長のほうが、通りがいい。ご存じNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の久慈駅長杉本哲太扮する大吉駅長は、まさに橋上駅長なのだ。仕事中にさぼって喫茶リアスでお茶し、仕事中に平気で抜け出し春子を追いかける、アルコールは飲まない。NHKの取材能力の高さに感心する。実際はどうか。まあ仕事中に喫茶店に入り浸れるほど豊かな会社じゃない。春子を追いかけたら愛妻に即刻離婚。アルコールは浴びるほど飲む。まったく真逆のモデルなのだ。それでも持ち前のホスピタリティ溢れるサービス精神は、当時のプロデューサーはじめ撮影スタッフから絶大な信頼を得た。橋上なくして「あまちゃん」はあそこまで人気番組にはならなかった、というのが定説である。しかし、能年玲奈ちゃんはそれでも輝いていたと思う。橋上の手の垢が付かなかったことだけが救いである。

一方「震災学習列車」では、たびたび参加学生を泣かせる名ガイドでもある。朴訥風の話し方。ポイントとなる被災現場での間の取り方。すべてが一流である。ただの目立ちたがりではない。何しろ久慈方面での人脈はものすごい。市民ならだれでも知っている。(嫁の力というひがみの声もあるが)

豆に隅々まで顔をだし、愛嬌ある顔で友達になる。飲食店の女将も漁師も銀行の受け付けも、みな友達になる。市長選に出ればE市長はきっと真っ青になるはずだ。

今では、北の橋上、南の吉田、助演男優級が金野、冨手、と言われる。それに味のある運転士たちが加わり、三鉄を全国区へ浮上させてきたのである。当然であるが、それでも主演男優は望月正彦社長。これは揺るがない。

こうして紹介すると、テレビやラジオに引っ張りだこの「三陸タレント」か、と言われそうであるが、これが謙虚、控えめ、照れ屋、はにかみ屋、決して威張らない。人気の秘密を解剖すると以上のことになる。

情報であるが、「あまちゃん」ロケ中の膨大な裏話を持っている。それを目当てに近づけば、きっと秘密の話が聞けるかもしれない。橋上は口が固いが開けるのも早い。きっとニヤニヤして話す。間違いない。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 真面目男編

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三浦 芳範 54歳 見るからに「実直」なイメージを醸し出している。会社では車掌も務めたが、現在の観光部門の担当になってから頭角を現し、今では旅行業が天職と言えるほど。

三鉄では毎朝朝礼を行い、その際に抽選で「1分間スピーチ」を行う。内容は自由だ。三浦が当たると1分間が5分になる。一生懸命話す。同じところを反復するためなかなかまとまらない。しかし「実直」な性格であり、最後までしっかりと話さなければ気が済まない。社員たちはじっと聞いている。忍耐強いのだ。

高齢女性には抜群の人気だ。三鉄ツーリストが例年実施する「青森・恐山ツアー」は三浦が添乗する。というか添乗員が三浦でなければ応募が激減する。何しろ親切である。こまごまと嫌な顔一つせず、笑顔で優しく接してくれる(参加の75歳のおばあさん談)。恐山が目的なのか、車中の三浦が目的なのか、大人気のツアーとなっている。

東日本大震災で壊滅的打撃を受けた大槌町で生まれた。知人友人、親せきも多く一応に大きな被害を受けた。三浦の心は大きなダメージを受けたが、持ち前の強い精神力が立ち直りを早くした。その強い精神力は野球で培われた。

中学高校と野球に明け暮れた。4番でファーストが自慢だ。社会人野球でも4番を任された。ただ、その後は体重が増え続け、とうとう90キロを超えた。あまりの無様な姿を鏡で見て、ダイエットに取り組んだ。現在は73キロまで落とし維持している。

趣味のアマチュア無線を楽しんでいる。見知らぬ仲間との交流は何よりの息抜きだ。思いっきり話せることもストレスの解消に役立っている。会話が通じているかどうかは微妙だが。

三鉄フロントライン研修や震災学習列車、企画ツアーなど休む暇もなく動いているが、疲れた顔や嫌な顔を決して見せないナイスガイである。妻一人娘一人の女系家族。優しさは家庭から育まれている。30年使い続けてきた冷蔵庫が壊れ、1月に高性能冷蔵庫に替えた。大きな買い物だったが、妻と娘の喜ぶ顔が何よりだった。当然その後は小遣いが減った。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 何役も務める不器用人間

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及川 修 60歳 重役である。肩書が多い。「料理長」「修繕課長」「大工課長」「電気修理課長」「花壇管理課長」。何重もの役職があるので重役。会社にとってなくてはならない貴重な人材である。

本業は当然「鉄道」である。三鉄の中でもトップクラスの鉄道専門家だ。山田高校を卒業後に入社したのは「神奈川臨海鉄道」。家庭の事情で岩手に戻り、「東北鉄道運輸」へ再入社。その後平成2年に強い推薦があり、「三陸鉄道」へ再々入社となった。一貫して鉄道畑を歩んできた。三鉄へ入社後は、力量を買われ、宮古駅勤務から大船渡、釜石、宮古、久慈、最後は宮古の運転課長として転勤が続いた。同じ県内とはいえ、四国と同じ面積の岩手県は広い。異動はつらかったことも多いが、三鉄管内をすべて熟知できたことが後々大いに役立っている。そうして60歳の定年を迎えた。まさに波乱万丈の鉄道人生であった。望月社長の強い希望と、なくてはならない存在として再雇用となり、参与として現在も同様の鉄道業務を続けている。及川は「望月社長との出会いにより、人生に明るく輝く太陽と巡り合ったような幸せな日々となった。苦労は何とも無い」と述懐する。

波乱万丈は、二度の津波体験も重なる。一度目のチリ津波、自宅付近の津軽石地区で悲惨な光景を目の当たりにした。次が東日本大震災だ。会社が丸ごと失われる絶望感に襲われた。しかし落ち込んではいられない。望月社長と共に線路の点検に動き、宮古と田老間を歩いた。その時に線路が大丈夫なこと、住民が線路の上を歩いていること、それらから早期復旧と無料運行を進言した。望月社長は即刻意見を聞き実行した。信頼されている喜びと大きな責任感に体が震えた。

高校時代はボート部に所属し活躍した。県大会で2位。東北大会でも2位。全国高校総体で2位。国民体育大会でも2位。すべてが2位だった。大将より参謀が似合っているのだろうと納得した。「2位じゃダメなんですか」と某女性国会議員の仕分けニュースに笑ってしまった。

社員との喧嘩も多かった。喧嘩というより理不尽な上司との軋轢が多かった。正論が通じない悔しさも味わったが、今日あるのは、そうした出来事のお陰と感謝している。

望月社長に海釣りに誘われた。久しくしていない釣りだ。仕事が終わり夜を徹して陸奥湾へ行った。こんなに海釣りが楽しいものだと、小さいころの思い出がよみがえった。今では月に1回、三陸の海を謳歌している。なぜか及川だけが釣れる日もあり、大恩人の望月社長に申し訳ない気持ちになるらしい。が、「実力だけは仕方がない、釣れてしまうから」とほほ笑む姿が目撃されている。

毎年年末の最終週末に「クリスマス釣りー」をするのが行事になっている。昨年は大きなナメタを釣った。望月社長にも大きなナメタが来ることを願うばかりである。

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 純情虎舞編

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菊池 弘充 (きくち ひろみつ) 52歳

生粋の釜石人である。世界遺産登録を目指している産業遺産「橋野高炉跡」の橋野で生まれ育った。遊び場は当然自然しかなく、田んぼや川を走り回っていた。

彼は、見合いのプロ、達人である。三陸鉄道のキャラクター「鉄道男子」のモデルであることは、ほとんどの社員が気づいていない。見合い回数100回超。すべてを熟知しているが、残念ながら成功事例はない。リアル三鉄マン、全国から一緒に虎舞を踊る伴侶を求めている。

東日本大震災では叔父が犠牲になり、友人たちにも大きな被害が出た。失意のどん底まで味わった。震災前は、岩手県の観光PR大使を務め、運転士でありながら、車中での虎舞サービスは大人気だった。虎舞のお面を製作をしてくれた大恩人が津波犠牲となり、自分が持っているお面が遺作となった。二度と踊らないと命同様に大事にしていたお面を封印した。が、虎舞の指導をしてくれた先生から、「踊ってこそ供養」と叱責を受け、再び舞うことを決めた。その日は、あの「あまちゃん」こと能稔玲奈ちゃんが,NHK[突撃あっとほーむ]という番組で大船渡盛駅のイベントにサプライズ登場した時だ。本当に「あまちゃん」が来るのか、当日まで半信半疑だったが、来てくれた。感動だった。そして震災後初めて「あまちゃん」と一緒に踊った。一生の記念となった。「俺の嫁さんはあまちゃんだ」と、途方もない妄想が重い身体の小さな胸いっぱいに膨らんだ。

2    手前黄色い虎舞が菊池弘充

思えば、釜石で育ち高校生まで電車に乗ったのは修学旅行の2回だけだった。憧れの三鉄に入りたくて猛勉強をした。その時の受験に三鉄に乗った。人生3度目の電車だった。

それから30年。厳しく指導してくれた大先輩。すべてが今の自分があるのも指導のお陰と感謝の日々。それでも不器用さは直らない。それも持ち味だと言い聞かせている。およその部署はすべて経験してきたが、やはりお客様と接することが出来る運転士こそ、自分の転職なのだと。体重100キロ。明るく前向きに生きる。

(同僚の声)

全国の皆様、「ひろみつ」を見つけたらぜひ声をかけてください。願わくは生涯の伴侶が舞い降りてくることを願うばかりです。きっと両手で受け止めます。

 

三鉄ぽっぽや「熱き男たちシリーズ」 不器用ですから編

二橋

二橋 守 50歳

 岩手県の北部に山形村がある。現在は久慈市と合併し山形町となったが、山奥ののどかな山村で二橋は育った。遊び相手は、熊やカモシカ、川のカジカたちだ。春になると、周囲はどこでも山菜が採れ、秋になるとキノコで溢れる。冬が一番厳しく辛い。それを乗り越えて立派に育ってきた。

「まもる~」と大声で先生が追いかけてくる。守は必死に逃げる。授業中に教室を抜けだし山野を駆け回るワンパク少年だった。当然勉強はしない。

やがて二戸の高校へ進学し、東京の専門学校へと進む。まるで宇宙旅行へでも行ったような、山形村とは別世界の都会に驚き、バイトをしながら数年過ごした。しかし、何かが違う。春になっても山菜は出てこない。隅田川にはカジカがいない。人間が住むところではない大都会、そのくせ熊や鹿がいない。田舎に戻り三鉄へ入社した。人生が変わった瞬間である。人懐っこい顔で車掌を務めてきた。三鉄通学の高校生には大人気だった。不器用な三鉄社員の中では、稀に見る社交的性格の持ち主だ。そのため「教育旅行」を扱うツーリスト部門に配属になり、すぐに頭角を現してきた。貧乏会社の三鉄の出張規定は厳しい。そんな中でも、盛んに北海道や関東へ出張し、大いに羽を伸ばしながら仕事もしてきた。そんなに気軽に出張に行けるなんて、と社員からは「二橋マジック」と呼ばれ、不思議現象の一つにもなっていた。そうした手腕を認められ、2009年より、久慈市ふるさと体験学習協会へ出向となり、役人気分を2年味わってきた。久慈市は、岩手の中ではいち早く教育旅行や体験旅行に取り組んできたところである。二橋を迎え、教育旅行の来訪者が一気に増えた。そんな中、3・11となった。望月社長は、三鉄の観光部門を強化するため、久慈市から「二橋を取り戻す」と市に交渉し、契約任期前に三鉄へ戻した。戻った二橋は早速「震災学習列車」を立ち上げ、これが見事に大ヒット商品となった。丸く細い目、不器用っぽく聞こえる話口調。列車の中の学生たちは、二橋の迫真に迫る説明に涙を流す。二橋にしかできないガイドなのである。二橋の「震災学習列車」の企画は、2013年4月、部分開通した南リアス線でも取り入れた。すぐにヒットした。

不器用そうに見える二橋の特技は「ゴルフ」である。しかし、好きなゴルフだけは本当に不器用で上達しない。

もう一つ二橋の自慢がある。「あまちゃん」のロケ中、本部の二階から撮影風景を覗きこみ、真下にいたKYKYの胸の谷間を見たと。それが自慢らしい。キョンキョンファンの敵となった。天野アキだったなら、当然磔の刑である。